この記事は月刊誌『毎日が発見』2023年6月号に掲載の情報です。
意外に多い高齢者のうつ
私の本業は高齢者専門の精神科医です。この仕事は認知症の診断や治療や家族との相談など、認知症関連のことが主になります。
とはいえ、似た症状で実は違う病気だったという診断や、本来認知症は治すことができないので、周辺症状といわれる異常言動の治療、病気の進行を抑えるデイサービスなどの紹介といったことも含みます。日本老年精神医学会という学会に出たことがありますが、演題のほとんどは認知症がらみです。
ただ、もう一つ仕事の重要な柱があります。それが高齢者のうつ病の診断と治療です。
認知症と違って、うつ病は適切な薬物治療で改善することが多く、完治する人もいます。そういう意味で、医師としてやりがいがあるのは、やはりうつ病の治療ということになりますし、医師のもとに早く来てほしいと思うのもうつ病の患者です。ただ、多くの人は認知症を恐れ、認知症を意識しますが、うつ病を恐れる人は少なく、うつ病を意識する人も少ないのです。
実はうつ病は珍しい病気ではなく、高齢者ではなおのこと多いものです。
一般にうつ病の有病率は3%、つまり30人に1人です。アメリカの最新の診断基準DSM-5によると、アメリカにおけるうつ病の有病率は7%。WHOの2015年の統計では、世界人口の4%がうつ病に苦しむとされています。
高齢者ではそれが多くなり、いろいろな地域住民調査では5%程度だとされます。つまり、若い人よりうつ病が多いのです。高齢者の20人に1人はうつ病に苦しんでいることになります。
認知症は、人口の高齢化とともに激増しました。認知症とうつ病の大きな違いは、うつ病も歳をとるほどなりやすくなると考えられていますが、それほどの急増ではないのに対して、認知症は加齢とともに急増することです。
認知症と間違いやすいうつの症状
最近になって若年性の認知症が取り上げられることが増え、多くの人が恐れるようになりましたが、40代で認知症になる人は1万人に2人、50代では1万人に8人とされます。それが70代になると8%、80代では30%以上、90代ではなんと70%以上です。つまり、70代前半までは、認知症よりうつ病のほうが多いのです。
後に説明しますが、病的な物忘れというと認知症をイメージしますが、実は高齢者のうつ病では、認知症のような物忘れは珍しくありません。
中高年以降の物忘れは、人の名前が出てこないという、一度覚えたものを出力できない想起障害が多くなります。これは多くの場合、病的なものではないから、それほど心配はいりません。
しかし、認知症の物忘れというのは、記銘力障害と呼ばれる記憶の入力障害です。例えば5分前に聞いたことを覚えていないということであれば、この入力障害ということになります。こちらは病的なものである可能性は小さくありません。
このような入力障害が認知症でなくても、うつ病でも起こります。
70代前半まででこれが起こったとすれば、認知症よりうつ病の可能性がむしろ高いとさえいえます。しかし、それがうつ病の症状だと思われることは少ないのです。あるいは、歳をとって若い頃より元気がなく、毎日をうっとうしいと思って暮らしていても、歳のせいだという風に思う人が、本人も家族にも多いでしょう。
かくして、実際は決して少なくないうつ病なのに、見過ごされることが多いのです。その原因の一つには、一般の人のうつ病についての知識の不足があります。
今後、少しでもその知識不足を解消できるように、私の長年の経験と学んだことから、うつ病について説明してみたいと思います。
【その物忘れ、うつ病かも】
少し前のことを覚えていないという場合は、うつ病や認知症の可能性も考えられます。
名前が思い出せないといった現象は誰にでも起こり得ることで、心配ありません。