日本人の平均寿命は、女87.14歳 男80.98歳と世界トップ。平均寿命までたっぷりと時間があります。反面、体力は確実に落ちていき、仕事の需要も難しい中、これからの時間をどう過ごしていけばいいのか、不安にかられる人が多くいることも事実。これからの自分を待ち受ける運命に気づき、自分の心や大切な人たちとどう生きていくか?「青森の神様」として知られる木村藤子さんによる、あなたらしい人生を生きるための道しるべ。
※この記事は『神様が教えてくれる 人生100年時代の幸せな生き方』(木村藤子/KADOKAWA)からの抜粋です。
前の記事「運命の出会いは誰にでも訪れる。いい運命だけでなく悪い運命もある/青森の神様(1)」はこちら。
運命の糸を結ぶ
運命の糸は、ただそれを見つければうまくいくというものではありません。ふたりそれぞれが持つ糸ですから、それを結ぶことが大切ですし、仮に結べたとしても、常にきちっと結んでおかないと、ほどけてしまうこともあるでしょう。きちっと結んでおくとはつまり、相手のことを思いやったり、きちんと配慮していかなくてはならないということです。前節でお話ししましたように、運命の糸(=出会い)は、スタートライン。そのふたりの〝関係性〟を、いい形で維持・発展させていくには、ふたりの足並みを揃えていかなければいけないのです。
「運命の人と出会いたい」
こう聞くと結婚や恋愛を思い浮かべる人が多いかと思いますが、〝運命の人〟はそれに限りません。運命の糸は、現世での趣味嗜好(しこう)や考え方だけでなく、過去世でのつながりの強度、関係性の強度が重要になってきます。現世において関係性の強い家族や親戚、友人などでも、来世において運命の糸で結ばれるとは限りません。それはふたりが持つカルマが、いかにして接触していくのかによるのです。
運命の糸で結ばれる人たちとは、現世での関係性の距離を超えた、神の意志で結ばれています。たいていの人は、過去世の記憶を忘れて、現世の記憶しか持っていません。それゆえ、同じ過ちをくり返してしまい、過去世の罪ゆえのカルマに苦しめられてしまうのです。運命の糸で結ばれる人たちの、その根底にあるものは、過去世から引き継いでいるカルマです。
カルマとは〝行為〟という意味ですが、過去の自分の行為が、現在そして未来にも引き継がれて影響しているのです。
人間の本質を、生まれては消えていく肉体ではなく、その肉体という乗り物を乗り継いでいく〝魂〟と考えると、あなたの過去世にもさらに過去世があり、そのさらに前にも過去世があり、その前にも......という遠く長きにわたって、魂はつながり、途方もない時間の中で築き上げられてきたものだと言えます。
私たちが今この瞬間に行っている行為(カルマ)は、神によってすべて記録されていて、その中に悪いカルマがあれば、その清算を必ずどこかで求められます。過去の自分の行為によって、その結果としてさまざまな不幸が起きますが、不幸が起きたときに人間が取る行動は大きく2パターンあります。
A 不幸の原因を追究し、自分を変えようとする
B 不幸にも原因があるとは気づかず、そのままにしてしまう
Bのように、今ある不幸に対処せず、その不幸の原因を自分以外の誰かや何かに求めていると、いつまでたっても負の連鎖は止まりません。
逆に、Aのように原因を考え、自分の欠点を改善していける人はどんどん成長していきます。悪いカルマを清算するかしないかはそれぞれ人の意思に委ねられますが、このAとBの考え方の違いによって、その人生にはどんどん差が生まれていきます。
この世で身に降りかかる不幸は、(前世も含んだ)過去の罪によるものです。
人間が持っている記憶は普通、現世のみです。自分の魂が過去に犯した過ちの記憶など残っていないのが普通です。そのため、「過去の自分の行為が、今の自分の不幸の原因だ」と言われても、そんなことは理解できないし、納得もできないというのが普通でしょう。
しかし、過去の〝行為〟を作ったのは、自分の〝性格〟の原点、つまり私たちが言う〝魂〟なのです。過去世において、現世に連鎖してしまうようなどんな行為をしたのかを思い出すことは不可能ですが、〝問題となる魂の性格〟は、〝現世の今の自分〟を素直に見つめ、問題の原因を考えることで、自(おの)ずと理解できるはずです。
魂の性格が私たちの行為を生んでいます。ですから、その性格の欠点に気づいて直すことができれば、過去の悪いカルマは清算できます。過去世からつながってきた悪い〝連鎖〟を断ち切り、未来で同じ過ちをくり返すことがなくなるのです。
過去の自分の罪(悪いカルマを作った原因)は、その人自身にしか直すことができません。ですので、自らカルマを清算しない限り、先ほどお話しした「神による記録」から消えることはないのです。また、注意していただきたいのですが、カルマというのはひとつではなく、人それぞれ過去の良い行い、悪い行いによって、持っている数が違います。
過去の罪を清算するまでは悪いカルマは消えず、現世のあなたの人生100年、そして来世のあなたの100年、次の100年、その次の......と、永遠に残り続けます。
さらに、自分の行いによって悪いカルマを増やしてしまうこともあります。
自分を守るためにひとつ噓をつくと、もうひとつ噓をつかなくてはならなくなり、さらにもうひとつ、もうひとつと、「噓が噓を呼ぶ」と言いますが、悪行はたやすく連鎖し、どんどん不幸の原因を作っていきます。
そうした負の連鎖に陥ってしまうと、自分で気づかないうちに悪いカルマを積み重ねてしまっていることがあります。現世の自分だけの視点でいえば、「清算しなさいと言われても......」と、納得できないかもしれません。
しかし、今罪を犯してもその清算がすぐに訪れるとは限らないので、自分が犯した罪に対して心の中で「自分が悪かったかもしれない」と当初は思うのですが、年月と共にすっかり過去の自分の罪を忘れてしまうのです。
しかし、良いことをすれば自分に良いことが返ってくる、悪いことをすれば自分にも悪いことが返ってくる......という法則がこの世では成り立っています。
過去の自らの行為を清算しなければ、その根本の行為を〝原点〟として、何度も何度も連鎖する形で不幸が起こり続けてしまうのです。魂の性格の欠点が、永遠に失敗をくり返しているのです。
カルマの清算は魂の目的ではありますが、誰かから強制されることはありません。しかし、清算しない限り、この輪廻(りんね)し続ける魂と共に、残り続けるのです。
このような過去の自分の行為によってできたカルマは、人間関係にも影響を及ぼします。人は生きていく限り、誰かと出会い、別れ、また出会い......という具合に、人生の中でさまざまな出会いを体験していきます。こうしてつながっていく人間関係の中で、人の幸不幸は生まれていくのです。
コミュニケーションの手段が多彩になった現代においても、人との間に幸不幸の原点があることに変わりはありません。人間が言葉を使って会話をするようになり、文字を使って手紙、そして科学技術の進歩によって電話が生まれ、やがてメールやSNSなど、さまざまなコミュニケーションの道具が生まれましたが、どの手段を使ったとしても、それ自体が人とのコミュニケーションの摩擦を減らしてくれるわけではなく、欠点を直すことを怠れば、摩擦は生まれてしまうのです。
私たちが現世で出会う人たちは、もちろんまったくの新しい出会いもありますが、その多くが過去世で何かしらの関係があった人であり、〝なぜ出会うのか〟というと、過去に起きてしまった摩擦を解消するために出会うのです。
〝運命の出会い〟にかかわらず、その人との関係性についてないがしろにしていたら......。人間は近しい関係ほど、〝慣れ〟の中で思いやりを忘れてしまうことがあるので注意が必要です。代表的な例が、「仲のいい友達」「夫婦(カップル)」「家族」です。仲がいい〝つもり〟、わかり合っている〝つもり〟、思いやっている〝つもり〟になりがちです。
青森の方言で、〝からきじ〟という言葉がありますが、これは「わがまま」という意味です。相手のことを思いやっている〝つもり〟が、慣れの中でいつの間にか〝からきじ〟に変わってしまい、自分のことばかり中心に考えるようになってしまうのです。
「(友達・夫婦・家族)だから大丈夫だろう」
といった〝からきじ〟な感覚でいると、いつか摩擦が起きて、関係性が崩壊してしまいます。
その摩擦は、さらに悪いカルマを積み重ねてしまうのです。
相手への思いやりや気遣いは、当たり前であるがゆえに、いつの間にかないがしろにしてしまいがちです。
しかし、人との間で生まれた摩擦は、負の連鎖をくり返すことで、「まさか、関係ないだろう」と思っている子どもにさえも、連鎖が波及していくことがあるのです。
過去世での関係によって現世で出会っている親子間、夫婦(恋人)間、友人間との運命の糸を維持するためには、お互いが持つ過去のカルマを解消して、負の連鎖を断ち切っていくべきなのです。
次の記事「結婚はあくまでも幸せになるひとつの手段/青森の神様(3)」はこちら。