「この人と幸せな家庭を築く」という覚悟を持つ/君島十和子「私が決めてきたこと」(6)

「この人と幸せな家庭を築く」という覚悟を持つ/君島十和子「私が決めてきたこと」(6) towako1.jpg2016年5月の誕生日で50歳を迎えた君島十和子さん。

20代で活躍されていた女優時代からの美しさは、健在! 素敵に歳を重ねておられる女性の代表として、いまでも多くの支持を受けています。

「決断」をテーマにした本書『私が決めてきたこと』から、妻として、母として、働く女性として、がんばる女性を応援する君島十和子さんのメッセージを受け取ってください。

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前の記事「諦めない。チャンスには全力以上で挑む/君島十和子「私が決めてきたこと」(5)」はこちら。

 

相手のすべてを理解することはできない。
結婚に必要なのは、「この人と、幸せな家庭を築く」という覚悟です。

「ご主人との結婚を決めたポイントは?」
取材などで、そう聞かれることがあります。

強しいて言うなら、「それが私の運命だった」と思えたことでしょうか。「この人となら、大丈夫」といつしか感じるようになったのです。

私が結婚を決めたのは、29歳のときでした。同級生たちの間に、結婚ラッシュの第二波が到来していた頃で(第一波は25歳頃)、当時の私は、毎月のように結婚式のご招待を受けていました。

ただ、このときの私に「結婚したい」という意識はありませんでした。女優としてのお仕事をコンスタントにいただけるようになり、やりがいを感じていて、現場に行くのが楽しくて仕方のない時期だったのです。ですから、「いずれ自分の家庭は持ちたいけれど、女優はずっと続けたい。だから、同じ業界の人と結婚するかも......」なんて勝手なことを考えていたくらいです(笑)。

 

人生のパートナーとの出会いを意識する

そんなときに出会ったのが、主人でした。オートクチュールブランド「KIMIJIMA」のブライダルコレクションの年間モデルとして出演させていただいたときのことです。

主人は創業者である父・君島一郎の次期後継者として、家業を支える立場にありました。ですが、アパレル業界やオートクチュールメゾンの華やかなイメージとは一線を画す、ストイックな雰囲気を持っていました。

後日、打ち合わせをしたときの何気ない会話から、私の誕生日がもうすぐであること、その日は偶然、2人とも大阪で仕事をしていることがわかりました。仕事のあと、予定がなかった私は、「それならご飯でも食べませんか」という彼のお誘いを受けました。その後、何度か食事を重ねるうちに、私は彼を人生のパートナーとして意識するようになったのです。

意識するようになったきっかけは、好きなものが似ていたこと。美しいと感じる風景や音楽、美味しいと感じる食べものなど、共通する好みがたくさんあったことです。

女性の美に対する、彼独自の感性にも惹かれました。当時、30才だった彼の言葉で印象的だったのは、「女性は、年齢を経れば経るほど美しさが変わり、そのたびに着こなせる服の幅が広がる」というものです。

同世代の男性がこんなふうに思うことが、私にとって非常に新鮮でした。

この人と一緒に生きていけば、時とともに変化していく、年代ごとの美しさを見つけられるかもしれない。年齢を重ねることに不安を感じずに、生きていけるかもしれない。彼と会っている時間の積み重ねが、結婚へ踏みだすための決断を、少しずつ強くしていきました。

 

互いに信じ合い、覚悟を決める

プロポーズをされたとき、彼と一緒に生きていくことへの迷いは、少しもありませんでした。今でもこのときの決断は、間違っていなかったと思います。

相手のことを理解するには、それなりの時間がかかります。ですから、結婚前のお付き合い期間で、相手のすべてを理解するのは、まず無理なことでしょう。

あるいは、そのときは「理解できた」と感じても、長い人生を歩むうちに、人は変わっていくものです。死ぬまで結婚前と同じ状態でいてくれる......という保証は、どこにもありません。

だとしたら、結婚に必要なのは、「この人なら、大丈夫」と互いに信じ合い、夫婦でいる覚悟を決めることではないでしょうか。

覚悟を決めたら、「この人のこういう面は、結婚前に私が思っていたのと、ちょっと違うわ」と思っても、相手を変えようとするのではなく、自分から歩み寄る努力をします。別々の人格を持ち、別々の環境で育った2人が、ひとつ屋根の下で夫婦を続けるには、相手を受け入れる姿勢を示す必要があると思うのです。

2017年で結婚生活22年目を迎える私たちが、今日までやってこられたのは、お互いに相手のよいところを認め合って、受け入れる努力を続けてきたからです。

 

この人と、幸せな家庭を築く。
そう覚悟を決められる相手が、もしかすると運命の相手なのかもしれません。

 

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君島 十和子(きみじま・とわこ)
高校在学中に「,85年JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれ、芸能界デビュー。1986年女性誌『JJ』のカバーガールを務め、同誌で専属モデルに。のちに舞台、テレビなどを中心に女優として活躍。結婚を機に芸能界を引退。2005年、20数年に及ぶ美容体験をもとに、化粧品ブランド「FTC(フェリーチェ トワコ コスメ)」を立ち上げ、20種類にも及ぶ製品ラインナップを開発。著書に『十和子イズム』(講談社)、『君島十和子の「食べるコスメ」』(小学館)、『十和子塾』『十和子道』(集英社)など多数。

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『私が決めてきたこと』

(君島十和子/KADOKAWA)

夢をあきらめたこと、大変だった子育て。すべてが「いま」につながっている―。 君島十和子さんが50歳になったいま、妻として、母として、働く女性として感じていること。「決断」をテーマにし、女性がしなやかに強く生きるための31の秘訣をまとめた1冊です。

 
この記事は書籍『私が決めてきたこと』からの抜粋です

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