職場、恋愛関係、夫婦関係、家族、友人...。毎日自分以外の誰かに振り回されていませんか?
"世界が尊敬する日本人100人"に選出された禅僧が「禅の庭づくりに人間関係のヒントがある」と説く本書『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』で、人間関係改善のためのヒントを学びましょう。今回はその第6回目です。
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「やさしい嘘」と「厳しい真実」
あの人は会うといつも小言をいってくる。上司は顔を会わせると注意ばかり。口を開くと決まってお説教してくる親......。あなたが苦手意識をもつ相手は、どんな人々でしょうか?
人は自分の短所を指摘されると不快に感じるものです。一方、褒められるとうれしいもの。しかし「いいね!」に囲まれているばかりでは、人間的な成長は期待できません。もちろん、人格を全否定してくるような攻撃的な人とはお付き合いする必要はありませんが、「苦手だから遠ざける」と短絡的に考えず、「苦手ではあるけれど、耳を傾けてみる」という寛容さがあって、はじめて人は成長するのだと思います。
自分に対して厳しく指摘してくる人がいたとします。しかし、その人がもっている"顔"はそれだけではないはずです。別の顔を探してみましょう。その人をほかの視点から見てみるのです。自分が弱っているとき、どのような言動をとったか。それを考えてみるといいでしょう。
たとえば、会社で大きなミスをしたとき、一緒に残業してミスをリカバーしてくれようとしたかどうか。たとえば、大切な人を亡くして大きな喪失感を抱えたとき、一緒に過ごす時間をつくってくれたかどうか......。
いつも一方的に批判的なことばかりをいってくるようであれば、相性が悪いのかもしれませんし、あなたではなく相手の側に問題があるのかもしれません。自信のなさが攻撃的な言動となってあらわれ、あなたより優位に立つことで相手は安心を得ようとしているのかもしれません。そのような相手であれば、受けとりたくない批判はさらりと受け流しましょう。
しかし、厳しく指摘する反面、先にあげたようなやさしさを垣間見せてくる人もいます。そのような相手に対しては、指摘の中身を検証してみることです。言葉は厳しくても、的を射ている可能性が高いのではないでしょうか。そうであれば、相手は自分を成長させてくれる人です。苦手だと決めつけて遠ざけることはしないで、謙虚に指摘を受けとめ、学ぶべきでしょう。
耳当たりのいい言葉だけをいってくれる人が、いい人間関係を結べる相手ではないのです。ときに厳しい言葉を発してくれる人。困っているときに親身になって寄り添ってくれる人。そして、相手に対しても自分がそうしたい人......。そんな人との間にこそ、いい人間関係が結べるのです。
歪んだどうしにこそ、無限の可能性が宿る
「禅の庭」をつくるときに時折、思い出す禅語があります。
「山是山、水是水(やまはこれやま、みずはこれみず)」
山は山として本分をまっとうし、水は水として本分をまっとうしています。山が水に対して「山になれ」と命令することもなければ、水が山に向かって「水になれ」と指図することもありません。どちらもが自然のなかで共存しています。
私は、人の社会も同じだと思います。人間関係を自然の在り様に学ぶ。それも大切なことでしょう。Aさんがあなたに対して「山になれ」といってくるのであれば、Aさんは山なのかもしれませんし、山という価値観を最上のものと思っているのかもしれません。しかし、自分が水であれば、山になることもなければ、山になろうと頑張る必要もないのです。水は水としての本分をまっとうするのが美しいのです。自然は当たり前のようにそうしています。
自分が全部正しいということなどありませんし、自分の価値観が絶対ということもないのです。相手も同じです。このような境地になれば、自省する姿勢が生まれ、相手を受け容れる余地もできます。そうなったら、これまで苦手だなと思っていた相手からも学べるところはあるはずです。
人は多面的な存在です。いつも怒鳴るように注意ばかりしてくる人が、じつは社会的弱者に対して日常的にボランティア活動を行っているということもあるでしょう。口うるさく指図してくる教師が、じつは大切な教え子を亡くした過去をもっていて、それが口うるさくする原因だということもあるでしょう。
どんなに苦手だと思う相手であっても、苦手だと感じているのは、その人の一面にしかすぎません。その一面だけをとらえて拒絶したり、嫌悪感をもっているのだとしたら、せっかく巡り会えたご縁が少しもったいないような気がします。できることであれば、自分にとって好ましい一面を相手のなかに探してみたらいいのではないでしょうか。
苦手な相手の長所を探すといっても、苦手意識があると、なかなか簡単には見つからないかもしれません。しかし、これまでの"その人像"をいったん、忘れてみる。昨日までの相手ではなく、今日はじめて会った人だと思ってみるのです。気づかぬうちにかけてしまっている色眼鏡を外してみるのです。
そうすることで、息が詰まるぐらい口うるさくあなたに対して指摘をしていた人が、じつは社内の整理整頓を一手に引き受けて環境を整えていることを知るかもしれません。「あ、ここがいつも綺麗に整っているのは、この人のおかげだったのだな」と思えるでしょう。何でも指図してくる人が、大勢の人間が集まったときに的確に指示出しをしているのを見て、「仕切りが上手だ」とありがたく思えることもあるでしょう。
なんとなく苦手だなと思っていたが、違う立ち位置になって観察してみればいいところもある。そこに気づいたら、それを率直に言葉にしてみるのです。
「いつも整理整頓が行き届いていますね」
「素敵な洋服を着ていらっしゃいますね」
「リーダーシップがすばらしいですね」......。
何でもいいのです。褒められると人は気持ちがよくなるもの。あなたに対してもやわらかい笑顔を向けてくれる機会が自然と増えていくでしょう。それを繰り返していくうちに、苦手だったことをきっと忘れていくにちがいありません。
自分が完璧でないように、誰もが完璧ではないのです。いびつであったり、歪んでいたりするのが人間です。しかし、人としての味わいもまた、そこにあるのです。いびつどうし、歪んだどうしがかかわり合うことによって、思いもよらない人間関係の機微を知ることにもなるでしょう。「人には添うてみよ」という諺もあります。苦手と決めつけるのは、もっとあとでいいのです。
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桝野俊明(ますの・しゅんみょう)
1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授、庭園デザイナー。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。主な著書に『禅シンプル生活のすすめ』、『心配事の9割は起こらない』(ともに三笠書房)、『怒らない 禅の作法』(河出書房)、『スター・ウォーズ禅の教え』(KADOKAWA)などがある
『近すぎず、遠すぎず。』
(桝野俊明/KADOKAWA)
禅そのものは、目に見えない。その見えないものを形に置き換えたのが禅芸術であり、禅の庭もそのひとつである。同様に人間関係の距離感も目に見えない。だからこそ、禅の庭づくりに人間関係のヒントがある――「世界が尊敬する日本人100人」に選出された禅僧が教える、生きづらい世の中を身軽に泳ぎ抜くシンプル処世術。