【高齢者と若者では、治療方法が異なる】
高齢者の場合、セロトニン不足を補う薬の投与で、うつの症状は改善しやすいものです。一方、若い人のうつ病は心理的要因が大きく、薬の投与には慎重さを求められます。
この記事は月刊誌『毎日が発見』2023年11月号に掲載の情報です。
高齢者のうつ病は医療によって改善する
高齢者のうつや自殺というと、例えば、夫や妻と死に別れて、ものすごく寂しそうで落ち込んでいるとか、脳梗塞の後遺症で半身が不自由になったり、パーキンソン病で体が震えて思うように動かなくなり、「私は、もう長く生き過ぎました」などと言っているケースは、珍しくないものです。そういう人を見ると、「これはうつ病になっても仕方がない」と思う人もいるでしょうし、「薬なんかで治るはずがない」と考えても、不思議ではありません。
以前も触れましたが、昭和60年代、新潟県の松之山町(現在の十日町市)という町での自殺死亡率は、全国の約9倍という高さでした。これに対して新潟県は、県のモデル事業として、65歳以上の高齢者全員に、質問紙を使って、うつ病の疑いがあるかどうかの発見を目的としたアンケート調査を実施。ハイリスクとされた人には、精神科の医療機関で専門的治療を受けさせたり、保健師による病状の観察や訪問相談、ケアサービスの提供といった保健福祉的ケアに結びつけることで、自殺死亡率が8割も減りました。
こうした例からも分かるように、うつっぽい人に医療が介入することで、大幅に自殺が減ることは事実です。おそらく、うつの症状が軽くなったり、治療によってうつ病が治ったことで減少したのでしょう。実際、高齢者専門の精神科医をしていると、孤独や貧困、身体の不自由さなど、こちらが「これはとても治らないだろう」と思うような悲惨な背景を抱えるうつ病患者さんが、薬が効いたことでびっくりするくらい良くなるケースを、しょっちゅう経験します。
顔つきも良くなるし、食欲も出てきて、雰囲気が別人のようになります。「寂しさにも慣れてきました」とか「歳を取るとは、こんなものなのでしょうね」などと、不幸な境遇に必要以上に落ち込まず、飄々(ひょうひょう)とした態度をとるようになることも珍しくありません。自分の老年精神科医としての経験とさまざまな調査報告から、高齢者のうつ病には、やはり薬は有効だというのが私の現在の結論です。
セロトニン不足を補う薬での治療が有効
これまでも触れてきたように、うつ病の発症や症状の形成には、セロトニンという脳内の神経伝達物質が強く関わっています。
セロトニンというのは「幸せホルモン」と呼ばれるくらい、人間の心理に良い影響を与えます。セロトニンが脳内に十分にあるときは、満たされた感じになりますし、逆に足りなくなると、不安感が強まったり、イライラ感が高まったり、痛み刺激に敏感になったりします。そして、セロトニンがひどく減った状態が、うつ病の発症につながると考えられています。また、心の状態がセロトニンの分泌に強い影響を与えているという見方もあります。心の状態が幸せであるとセロトニンの分泌が増え、ストレスやいやなことがあると、セロトニンの分泌が減るとも考えられるのです。
高齢になるほど、セロトニンの分泌が減ることも分かっています。そのため、高齢者の場合、ちょっとしたストレスや、配偶者の喪失などといったガクッとくる体験によってセロトニンが減ると、簡単にうつ病になってしまうのでしょう。
10年以上前になりますが、若い人にうつ病の薬を出すと、かえって自殺のリスクが増えるということが分かり、厚生労働省も日本うつ病学会も「18歳未満のうつ病患者には薬の慎重投与を訴え、なるべくカウンセリングで治すように」と推奨するようになりました。若い人がうつ病になる要因としては、セロトニンの不足はそれほど強いものではなく、心理要因の方が高いウエイトを占めるからということでしょう。一方、高齢者のうつ病の場合、セロトニンの不足が大きな要因なので、セロトニンなどを増やすうつ病の薬(抗うつ薬)がよく効く
のです。
多くの場合、治療をせずに放置していると、その後のQOL(※1)が大幅に落ちる上に、自殺のリスクが大きくなります。それだけに、治療が非常に重要だということを、知っておいていただきたいのです。
※1 Quality of life(クオリティ オブ ライフ)の略で、「生活の質」「生命の質」などと訳される。