小島よしお「ピンで売れてやる!」グループ解散後に奮起したワケ。周りに気づかされた「自分の芸風」

自分の長所は周りが知っている

自分の芸風をどう作るか

小島よしおさん――アミューズを離れて2カ月後には、サンミュージックに所属するのですが、これもまた偶然の成り行きでした。WAGEの解散を知ったサンミュージックの人が、「うちに入りたい人がいれば話を聞くよ」と声をかけてくれたのです。

当時、お笑いの先輩たち(「東京ダイナマイト」の松田大輔さん、「流れ星」のちゅうえいさん、元「さくらんぼブービー」の木村圭太さん)としょっちゅう一緒に遊んでいました。サンミュージックの面接の日もいつものメンバー何人かで遊んでいて、「これからオーディションだから行かなきゃ」と帰ろうとしたら、「そのネタ、今やってみろ」ということに。

ネタを見せると、「やばい、こんなネタじゃ事務所に入れないぞ」と先輩が心配して、部屋にあったけん玉を使ってネタを即興で作ってくれました。そのネタをオーディションで披露したら、「おもしろいね」とウケて、事務所に入ることができました。

もし、「今日はオーディションの準備があるので、遊べません」と先輩の誘いを断っていたら、違う展開になっていたはずです。自分でどうこうしようとせず、その場の流れや状況に身を任せた方が、僕の場合はうまくいくみたいです。

さて、ピン芸人でやっていくと決めてから、初めてのライブ。劇団ひとりさんにあこがれて、ひとりさんのような芝居風コントがやりたくて、自作ネタで挑戦したものの、めちゃくちゃすべりました。そもそも僕は芝居が下手です。芝居風コントを一人でやってみて、「これは自分に向いてない」と思い知りました。

コントはあきらめて、自分に合った芸風を探そう。

そこでヒントになったのは、事務所のオーディション用に先輩が即興で作ってくれたネタです。「僕、こう見えてけん玉がすごい上手なんです」と言いながら、けん玉の一点を見つめて、集中すること約1分、「えいっ!!」というかけ声のもと、けん玉を投げ捨てる。

この不条理な世界観に対して、「何やってんだ?」とツッコまれるスタイルが、僕には合っていたようです。事務所のオーディションもそれで突破したし、周りの先輩たちも笑ってくれていました。

自分の芸風を見つけようとするときには、自分自身よりも自分のことが見えている周りの人の声が大切。それを最初に体感した出来事でした。

 

稲垣栄洋
農学博士、植物学者。1968年、静岡県生まれ。静岡大学大学院教授。岡山大学大学院農学研究科修了後、農林水産省、静岡県農林技術研究所等を経て現職。主な著書に、『弱者の戦略』(新潮選書)、『生き物の死にざま』(草思社)などがある。


小島よしお
芸人。1980年、沖縄県生まれ。早稲田大学在学中にコントグループ「WAGE」でデビュー。2006年より、ピン芸人として活動。2007年に「そんなの関係ねぇ!」で大ブレーク。年間100本以上の子ども向け単独ライブを行い、“日本一子どもに人気のお笑い芸人”として活躍している。主な著書に、『おっぱっぴー小学校算数ドリル』(KADOKAWA)、『小島よしおのボクといっしょに考えよう』(朝日新聞出版)などがある。

※本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています


※本記事は稲垣栄洋、小島よしお著の書籍『雑草はすごいっ!』(PHP研究所)から一部抜粋・編集しました。

この記事に関連する「暮らし」のキーワード

PAGE TOP