【本作を第1回から読む】小島よしお「あの人に出会っていなければ、お笑い芸人として活動していなかった」偶然が呼び込んだ幸運
『雑草はすごいっ!』 (稲垣栄洋、小島よしお/PHP研究所)第3回【全3回】
「一発屋芸人」と聞くと、その名が挙がるかもしれないピン芸人・小島よしおさん。2007年に「そんなの関係ねぇ!」で一世を風靡したあと、芸能の世界から消えることなくテレビに出続け、活躍の場を広げています。そんな彼を「雑草芸人」と呼ぶのは、植物学者として雑草の研究をしている稲垣栄洋先生。『雑草はすごいっ!』は、「いつも何気なく、そこにある」雑草と小島よしおさんのお互いの生き様がつづられています。小島さんの人生エピソードからわかる「雑草魂」をご覧ください!
※本記事は稲垣栄洋、小島よしお著の書籍『雑草はすごいっ!』(PHP研究所)から一部抜粋・編集しました。
成長できる環境に身を置く
先輩のムチャぶりでお笑い筋肉をきたえられる
小島よしおさん――ピン芸人への転向と同時に、先輩の松田さんが住む笹塚に引っ越しました。「こっちに引っ越してこいよ」と先輩が誘ってくれたからです。それまでも誘われたら断らないノリの良さはありましたが、引っ越ししてまでついていくのは初めてかもしれません。
とにかく、藁をもつかむ思いでした。「絶対にピンで売れてやる!」と息巻いていたものの、どうすればいいのか見当がつかなかったからです。
ただ、先輩と一緒にいれば自分が変われる気がしました。おもしろい先輩たちと一緒にいたい気持ちも強かった。ここにいれば「自分はお笑い芸人なんだ」と思える場所でした。
先輩との生活は、それ自体が"お笑い道場"のようでした。
とにかくムチャぶりがすごいんです。先輩からふられたら、すべて答えないといけない。「なんか新ギャグ、あるよな?」というムチャぶりにも、「いや、ないです」という返しは絶対に許されない。発言がおもしろかろうが、おもしろくなかろうが、「とにかくなんか返せ」が先輩の教えでした。
そんなムチャぶりとも、僕は相性が良かったと思います。
僕は自分でネタを考えるのが苦手です。ムチャぶりに対して、なにがなんでも返していくうちに、自然にギャグが生まれていきました。先輩に壁打ちして生まれたギャグを、ライブでそのまま使ったことは一度や二度ではありません。
聞けば、松田さんも同じような"特訓"を受けていたらしい。20代のころ、かなり厳しい作家さんがいて、その方の自宅を訪問するときは、インターホン越しにおもしろいことをやらないと家に入れてもらえなかったのだとか(笑)。
でも、「それがあったからネタを作れるようになった」と松田さんは言います。
だからなのか、僕に対するムチャぶりの中に、僕を成長させてくれる「愛とスパイス」があるのをいつも感じていました。
学生時代のWAGEのときには、けっして味わえなかった経験です。先輩のムチャぶりをたっぷり浴びたことで、お笑いの基礎力がつきました。その場で生み出す瞬発力がものすごくきたえられたし、それがその後の自分を助けてくれる土台にもなりました。
むちゃぶりって、実は成長を促す劇薬なんじゃないかな、なんて思ったりもします。