【本作を第1回から読む】小島よしお「あの人に出会っていなければ、お笑い芸人として活動していなかった」偶然が呼び込んだ幸運
『雑草はすごいっ!』 (稲垣栄洋、小島よしお/PHP研究所)第2回【全3回】
「一発屋芸人」と聞くと、その名が挙がるかもしれないピン芸人・小島よしおさん。2007年に「そんなの関係ねぇ!」で一世を風靡したあと、芸能の世界から消えることなくテレビに出続け、活躍の場を広げています。そんな彼を「雑草芸人」と呼ぶのは、植物学者として雑草の研究をしている稲垣栄洋先生。『雑草はすごいっ!』は、「いつも何気なく、そこにある」雑草と小島よしおさんのお互いの生き様がつづられています。小島さんの人生エピソードからわかる「雑草魂」をご覧ください!
※本記事は稲垣栄洋、小島よしお著の書籍『雑草はすごいっ!』(PHP研究所)から一部抜粋・編集しました。
現状は受け入れても、やりたいことは諦めない
ピンで成功するとは誰も思っていなかった
小島よしおさん――2006年、WAGEは解散しました。理由は、メンバーの方向性の違いです。
最初にWAGEをやめたいと言い出したのは、う大さんでした。WAGEの笑いは、自分のやりたい笑いとちょっと違う。そんな思いがあったみたいです。
WAGEとして活動を始めた頃、僕らのコントはオーディションでも評判が良く、深夜番組にもちょくちょく出演していました。でも、3年目くらいからは頭打ちの状態で、事務所からは契約打ち切りの話も出ていたんです。そんな中、う大さんは「自分のお笑いを追究したい」と言い、槙尾ユウスケ(現「かもめんたる」)は俳優、手賀沼は音楽をそれぞれ志望し、方向性の違いは決定的でした。
僕にとってはWAGEしかなかったし、「このグループで絶対に売れるんだ」と信じていたので、最後までグループ継続を主張しました。でも、5人のうち3人が解散に傾いていく流れを止めることはできませんでした。
アミューズとの契約が終了し、大学もこのタイミングで卒業。僕は完全にフリーになりました。そこでようやく現実を受け入れて、「ピンでやってみようかな」と思うようになったのです。
「僕、ピン芸人になりたいです」
事務所のマネジャーとの最後の面談でそう伝えると、失笑されました。「お前はいいヤツで明るい。それは認める。でも、お前にお笑いは多分無理だから、やめた方がいい。それよりも、花屋さんとか向いてると思うぞ」。かなりガチのテンションで言われましたね。
たしかに僕はネタを作れないし、大喜利ができるわけでもない。お笑い戦闘力はかなり低いと自覚しています。周りの人たちが僕のことを心配してアドバイスしてくれたのもわかります。
そのとき、僕の中でスイッチが入りました。「絶対にピンで売れてやる!」ってね。
「花屋さんがいいんじゃないか」とまで言われた僕が、ピン芸人として世に出たら、みんな驚くだろうなぁ。そう思うだけでワクワクしましたね。大学受験も、「早稲田に合格したらみんな驚くだろうな」がモチベーションだったので。
そういうサプライズが好きなんです。