感謝も後悔も全て涙とともに...。家族との別れ、5つのエピソード

大切な家族との別れ。感謝を込めて涙で見送ることもあれば、亡くなる方の後悔や無念に涙することもあるでしょう。胸をギュッとしめつける、5つのエピソードを紹介します。

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1:「顔が見たかった」震える声でそう言ってくれたお父さん、ありがとう...

「長らく闘病していた父の危篤の連絡を受けたときは、頭が真っ白になりました。ICUに駆け付けたとき、やせ細った顔で『顔が見たかった』とほほ笑んでくれました。いつも家族を助けてくれて、実家がある地域が大雨の被害に遭ったときも、心配して電話をした私を励まし、復興後に桜祭りが行われた際には宣伝役を買って出て、『災害に遭ったからこそ楽しい事をやめたらダメだと思った』と笑っていた父。今でもあなたの愛情は忘れません」(aozoraさん、42歳)

つらい状況のときこそ、その人の真価が問われるといいますが、お父さんは本当に強くて優しい人だったのでしょうね...ご冥福をお祈りいたします。

2:孫に会わせたかった...義父の優しさがあふれた最期の手紙

「義父は不器用な人でしたが、とても筆まめで、折に触れてキレイな字で手紙をくれました。あるとき『あなたたちの家族が増えるのが楽しみで、孫と呼べる存在に会えるのがうれしくも不思議な気がします』と書いてある手紙をもらったときは、素直にうれしく思いました。残念なことに、娘が生まれる前に義父は亡くなってしまいました。きっといいお爺ちゃんになるはずだった義父からの手紙は、娘に見せるために大切にとってあります」(しらたまさん、45歳)

手紙に綴られた言葉には、メールとは違う重みを感じます。手紙に込められたお義父さんの優しさを、娘さんも感じてくれると良いですね。

3:寒い日に出かけた父を止められなかった...10年経っても残る後悔

「10年前、父は70代後半で亡くなりました。バスの運転手として勤め上げた父は、亡くなる数カ月前、寒空の中免許の更新に行き、風邪をこじらせ入院しました。運転できる体調でもないのに無理するから...心配のあまりきつい言葉を投げた私に、弱々しく笑いながら『ごめん』と言った父。その後肺炎を併発し、家に帰ることなく亡くなりました。なぜあの日止められなかったのか、入院した父に優しい言葉を言えなかったのか...今でも考えます」(くあらさん、53歳)

なぜあんなことを言ってしまったのか...人が亡くなるときに、そう考える人は多いのかもしれません。心配で出た言葉ということを、お父さんが分かっていてくれたことを願うばかりです。

4:「私みたいにはなるな」病床の義母が私に残した衝撃の言葉

「『私は夫と子ども、義父母のために尽くしてきた。あなたもそうしなさい』2年前に亡くなった義母は常々そう言っていました。暴君だった義父に仕えた数十年は本当に幸せだったのか...しかし、義母は亡くなる一カ月前、私だけに『これまでの人生を凄く後悔している、あなたはやりたいことをやりなさい』と隠してきた本音を漏らし、2人で号泣しました。お義母さん、私は夫の理解も得て、やりたいことをして幸せに暮らしています」(むらまゆさん、44歳)

「自分のようになるなとは、とても重い言葉です。お義母さんは本当はどうしたかったのか、どれだけ我慢していたのか...お義母さんの分まで、むらまゆさんには幸せになってほしいです。

5:「もう苦しくないよ」最期まで優しかったあの子に、心からのありがとう

「我が家のお墓の近くにあるペット霊園。そこに7年前に亡くなった茶虎の猫、うりぼうが眠っています。いたずらをして困らせたり、愛くるしい仕草で和ませたり、家族同然の存在でしたが、4歳のときに難病にかかり、余命を宣告されました。もう立つこともできないうりぼうを夫と撫でていると『もう苦しくないよ』と言っているように喉をゴロゴロ鳴らして、数日後に亡くなりました。最期の瞬間は穏やかに過ごせたのかな...」(大家ぽん子さん、65歳)

うりぼうは「大丈夫、もう泣かないで」と言いたかったのかもしれませんね。最期まで飼い主さんの愛情を感じながら旅立った...そう信じたいです。

亡くなる人が最期の瞬間に思うのは感謝なのか後悔なのか...。ですが、見送る側が相手を思い、寄り添うことが、相手にとっては救いになっているはずです。

 

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