<この体験記を書いた人>
ペンネーム:くあら
性別:女
年齢:53
プロフィール:1月は3倍くらいのスピードで過ぎると感じるのは私だけですか。
父は10年ほど前に70代後半で亡くなりました。
最終的な死因は肺炎でしたが、亡くなる7〜8年前から複数の病気を併発していて、週に1度の病院通いを余儀なくされていました。
現役で働いていた頃の父は、移動手段はほとんど車でした。
電車やバスなどを使い慣れていない父が、バスで病院へ行っていると知った時は驚いたくらいでした。
それほどに体が弱っていて、運転もままならなくなっていたのです。
なので、時々は私が車に乗せて病院へ連れて行くことがありましたが、日に日に立ち居振る舞いに衰えを感じていました。
父は昔から生真面目な人で、起床時間から出勤時間、帰宅時間に就寝時間まで、ハンで押したように行動していました。
私たち子どもにも「時間を守りなさい」「きっちりしなさい」と口酸っぱく言っていました。
何かの締め切りや期日がある場合にも、後回しにすることはなく、決められた日時より早く済ませないと気のすまないところがありました。
亡くなる数カ月前、父の運転免許の更新時期が迫っていました。
昨今では高齢者の運転免許返納が推奨され始めていますが、当時はまだそういった動きは少なかったように記憶しています。
父の性格上、いの一番に更新に行こうとしていました。
けれど、その頃にはもう運転が出来るような状態ではなくなっていたのは、家族みんなが認識していました。
しかも、更新の時期が真冬で、寒風吹き荒ぶ中、よろよろと自転車で出かけようとする父をみんなで止めたものです。
それでも変に頑固で真面目な父は、どうしても行くと言って聞きませんでした。
結果、その数日後には風邪をこじらせ、何度かの病院通いののちに、夜中に救急車で運ばれることになってしまったのです。
「あんな寒い中、自転車で出かけるからこんなことになったんだよ」
入院した父をお見舞いするたびにきつい言葉を投げかけていました。
「二度と運転なんてできないかも知れないのに、運転免許の更新なんかのせいで入院する羽目になるなんて」
父は弱々しく笑いながら「ごめんごめん」と言っていました。
まさかそれから数週間後に肺炎を併発し、人工呼吸器を付けることになるとは。
そしてそれからそのまま二度と父の声を聞くことなくお別れすることになるとは。
分かっていたなら、もっと優しくしてあげていたのにと後悔しかありません。
もう一度元気になって退院して、でももう歳だから運転は出来ないでしょ、免許の更新に行かなくてよかったでしょ、と軽口を叩く日が来ると信じていたのに。
あの日、全力で引き留めていたら、もう少し長生きしてくれたのでしょうか。
それとも無事免許の更新が済んで、父は満足だったのでしょうか。
答えは分かりませんが、今も車を運転するたびにふとあの日の父のことを思い出すのです。
関連の体験記:最期までお母さんらしかったね。お疲れ様でした。ありがとう。
関連の体験記:気づいてしまった...中学校の給食室で働いていた私が目撃した、栄養士の「ある行為とその顛末」
関連の体験記:「既読にならない方、賛成でいいですね?」LINEが流行り始めたころの「PTAグループトーク」の悲劇
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。