遺言は「私みたいにはなるな」義父に殴られても家族に人生を捧げた義母が、病床で私だけに残した言葉

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:むらまゆ
性別:女
年齢:44
プロフィール:専業主婦です。夫は46歳の公務員、息子は17歳の高校生。義父は74歳、今年自営をたたみ今は年金生活です。

遺言は「私みたいにはなるな」義父に殴られても家族に人生を捧げた義母が、病床で私だけに残した言葉 10.jpg

2年前、70歳で他界した義母が、亡くなる1カ月前に私だけに伝えた言葉。

それは、今の私の根幹にある大事な言葉だと思っています。

義母は中学卒業後すぐに働きはじめ、結婚してからは義父の父(20年前に死去)、義父の母(45年前に死去)と自営業を営んでいました。

亡くなる数カ月前まで働き続け、大変な人生だったと思います。

20年前に義母と初めて会った時に言われた言葉は、今でも忘れません。

「結婚したら夫と義父母のために尽くすものだ。私もそうしてきた。自分のやりたいことは後回しにしろ」

「あなた一人娘なの。そうしたら、私たちの老後とあなたの親の老後の面倒を見ることになるから大変よ」

非常に不快だったのを覚えています。

その初対面から1年後、私は夫と結婚しましたが、義母との関係はあまりよいものではありませんでした。

子どもが生まれてからも、その関係は改善されませんでした。

「あなたの人生はあなたのためにあるのではない。夫と義父母と息子のために捧げろ。私はそうやってとても満足している」

そんなことを言う義母を、なんてひどい人だろうと強く思いました。

しかしある日、私はこの「満足している」という義母の言葉に、疑問を持ったのです。

きっかけは、義父が義母に対し暴力をふるっているのを目撃したことでした。

この暴力は義母が亡くなる直前まで続いていたようです。

また、義父は義母が旅行や外食をすることを、一度も許しませんでした。

だから、義母の「満足している」という言葉は、半ば意地だったのではないかと今は思っています。

そして2019年初頭、義母は倒れました。

もともと痩せ型だったのがさらに痩せ、どんどんやつれていきました。

「この人の人生はなんだったのか、本当に満足だったのか」

私は弱っていく義母を見ながら、すごく悲しくなったのを覚えています。

そして亡くなる1カ月前、入院中だった義母と2人きりになることがありました。

その時、義母が語った言葉が忘れられません。

「私の人生はいったいなんだったのか。自分のやりたいことはすべて後回しにしていたら、こんな病気になってしまった。私はもう長くない。すごく後悔してる。あなたにはやりたいことは今やってほしい。息子や孫のことは後回しでいいから」

2人とも号泣しました。

義母の心の叫び声が聞こえた瞬間でした。

その後、義母はほとんど話すことができなくなり、そのまま亡くなりました。

今、私はやりたいことをやっています。

夢を目指すために学校にも通い始めました。

夫に相談したところ、喜んで送り出してくれました。

息子も「僕も夢が叶うようがんばるから、お母さんもがんばって」と言ってくれました。

毎日充実しています。

今、私が夢に向かって迷うことなく進めているのは、義母が背中を押してくれたおかげです。

お義母さん、ありがとう。

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