「そんなの関係ねぇ!」の誕生秘話。「ナンバー1、オンリー1」になれた、先輩からの愛のムチャぶり特訓

弱い一つもかけ算で強くなる

「そんなの関係ねぇ!」はこうして生まれた

小島よしおさん――あるとき、木村圭太さんがDJを務めるクラブイベントについて行きました。

DJブースにいると、いきなり木村さんに「この音に合わせてラップをやってみて」とマイクを渡されました。いつもの愛のムチャぶりです。そのときやったネタが全然ウケなくて、「なんとかしなきゃ」と焦って、とっさに出た言葉がこれでした。

「すべったけど......、そんなの関係ねぇ! そんなの関係ねぇ!」

すると、これが意外にウケて、「そんなの関係ねぇ!」の大合唱が起きました。

それから数カ月が経ち、僕がこのギャグをあらためて意識するようになる出来事がありました。ラジオのネタ番組で何をやろうか頭を抱えていたら、クラブイベントにも来ていた当時の恋人が、「あのときのギャグが私の家で流行ってるよ」と教えてくれたのです。僕はすっかり忘れていたのに、彼女の中で生き続けていたことに驚きました。ラジオでこのネタをやってみたら、入賞することができました。

「そんなの関係ねぇ!」をライブでやり始めたのはそこからです。

当時、僕らのような新人が事務所ライブで披露するのは、1分ネタから始まって、勝ち上がると3分ネタ、4分ネタ......と持ち時間が増えていきました。1分ネタでは服を脱ぎながら怖い話をしていましたが、3分ネタに昇格したときに、「そんなの関係ねぇ!」と組み合わせてみたんです。

服を脱ぎながら怖い話をしても、服を脱いじゃったから、全然怖がられてない。

「あーヘタこいた! でも、そんなの関係ねぇ!」

このときたまたま裸でこのギャグをやったので、それ以来、裸が定番になりました。「このネタ、なんで裸なの?」とよく聞かれましたが、これが海パンスタイル誕生の真相です。

当時、ライブのお客さんには女性が多くて、そこに僕が裸で出ていくとドン引きでした。でも、そのドン引きな感じも含めて、袖(そで)で見ていた芸人の先輩たちがめっちゃ笑ってくれたんです。それがうれしくて、このギャグを続けることができたようなものです。芸人の先輩が笑ってくれさえすればいい。そんな感覚でしたね。

 

稲垣栄洋
農学博士、植物学者。1968年、静岡県生まれ。静岡大学大学院教授。岡山大学大学院農学研究科修了後、農林水産省、静岡県農林技術研究所等を経て現職。主な著書に、『弱者の戦略』(新潮選書)、『生き物の死にざま』(草思社)などがある。


小島よしお
芸人。1980年、沖縄県生まれ。早稲田大学在学中にコントグループ「WAGE」でデビュー。2006年より、ピン芸人として活動。2007年に「そんなの関係ねぇ!」で大ブレーク。年間100本以上の子ども向け単独ライブを行い、“日本一子どもに人気のお笑い芸人”として活躍している。主な著書に、『おっぱっぴー小学校算数ドリル』(KADOKAWA)、『小島よしおのボクといっしょに考えよう』(朝日新聞出版)などがある。

※本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています


※本記事は稲垣栄洋、小島よしお著の書籍『雑草はすごいっ!』(PHP研究所)から一部抜粋・編集しました。

この記事に関連する「暮らし」のキーワード

PAGE TOP