「末期がんの母が人生最後の二週間を過ごしたのは、長崎の高台にある聖フランシスコ病院のホスピス病棟だ。悲しい別れの舞台だと思っていたホスピスで、母と私は思いがけず素晴らしい時間を過ごすことができた。特にシスターのヒロ子さんの存在はとても大きい。笑顔とともに発せられる一風変わった言葉の数々に、私たちはどれほど救われたことだろう...」
末期がんの母とその娘が、シスター・ヒロ子との交流で知りえた、誰にでもできる慈愛に満ちた「看取りのレッスン」。
※この記事は『シスター・ヒロ子の看取りのレッスン』(小出美樹/KADOKAWA)からの抜粋です。
Lesson1
家族もちゃんと休むのよ
もうほぼ余命のない母が、静かに過ごしているホスピスの部屋を、シスターのヒロ子さんは日に何度か訪れてくれる。シスターはホスピス病棟のある聖フランシスコ病院の看護部長(当時)で、本当は偉い人なのだと思うけれど、いつも陽気な人懐っこい笑顔で接してくれるから、ご近所の顔見知りのような、優しい親戚のような、とても近しい感じがする。
シスターは、母の部屋のドアが開いているときはそっと入って来て、部屋のドアが閉まっているときは小さなノックをしてやっぱりそっと入って来て、母の顔を覗き込み、「今日のご気分はいかが?」と笑顔で話しかけてくれる。
母が眠っているときには、付き添っている私の体調や心の状態を気にかけてくれて、「ちゃんと休むのよ、看護師だって交替制なんだからね」と言い、そして、「コーヒーでも飲んでらっしゃい、私がついてるから」と、時々私を部屋から追い出したりする。
ホスピス病棟は四階にある。シスターに休みなさいと言われたら、私は素直に部屋を出て、深呼吸をしながら、ゆっくりと階段で一階へ降りる。小さな売店でコーヒーを買い、外来の患者さんで混み合う待合室の隅っこで、薄いコーヒーを飲む。患者さんたちを眺めながら、もしかしたらここで、自分の病気の検査結果を待っている方が気楽なんじゃないだろうかと考え、ため息をつく。コーヒーを飲み終える頃には、いや、それもまた辛いはずだと思い直し、飲み終えたコーヒーの紙コップをそそくさとごみ箱に捨て、エレベーターで四階へと上がる。
急いで母の部屋へ戻ると、いつも急ぐ必要はなかったような光景が展開している。母の部屋では、看護師さんたちが賑やかにベッドのシーツを取り換える作業をしていて、私の代わりに部屋にいてくれたシスターが、看護師さんたちの作業を手伝おうと、新しいシーツに手を伸ばしている。しかし、手際のいい看護師さんたちから、「ちょっと、シスターは手伝わんでいいけん、あっち行っとってください」とシーツを取り上げられ、シスターは空になった手を下ろし、しょぼんとして首をすくめ、それでもめげずにまたそっと手を伸ばそうとして、「こら、私たちがやりますけん」とまた叱られる。
その様子がコントのようでおかしくて笑っていると、「私は役立たずなのよね」と落ち込む。「ほら、シスターの仕事は患者さんとおしゃべりすることでしょ」と看護師さんたちに言われると、「そうか、そうよね」とすぐに満面の笑顔になって、笑っている母と少しおしゃべりをしたあと、するりと隣の部屋へと移っていく。
あるときはちょうど食事の時間にぶつかって、シスターが配膳の作業を手伝おうとして、「だめですよ、シスターはお皿を落とすけん」とやっぱりまた仕事を取り上げられ、「私はおっちょこちょいだから、なんにも手伝わせてもらえないのよ」と、目に手を当てて泣き真似をしていた。
いつも笑顔のシスターは、私が暗い顔をして廊下を歩いているのを見つけると、「はい、ひと休み。休憩大事よ」と、すれ違いざまに私の背中を軽く叩いてくれるので、私の固まった筋肉はほぐれてゆく。看護師さんたちも、「今日は良か天気ですよ、外の空気ば吸ってこんですか」と笑顔で言ってくれるので、私は病院の裏庭をひと回りして、庭の木々から漂いはじめた秋の気配に包まれたりしている。
次の記事「自分の葬式に着る服を決めておく/シスター・ヒロ子の看取りのレッスン(2)」はこちら。
撮影/白川青史