夫が亡くなった今も悔やむ――もっと寄り添って暮らせばよかった

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ペンネーム:フカユキ
性別:女
年齢:50
プロフィール:高校生と中学生の2人の子を持つ母です。4歳年上の夫を3年前に病気で失って以来、母子家庭で頑張っています。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

私と夫は16年前に共通の趣味がきっかけで知り合いました。同じ会社に勤めていましたが、初めての接触は私がその頃に作っていた音楽サイトに、夫がメールしてきたことがきっかけです。お互いに素性を明かすことをしませんでしたが、何カ月かメールをしているうちに、会社の様子や同僚とのやり取りなどから、同じ会社だとわかり、それから1カ月も経たずに結婚しました。

メールでやり取りした期間も含めると、付き合いは1年弱でしたが、正直まともに付き合いだして1カ月弱での結婚です。メールのやり取りを知らない同僚たちは「よく知らないのに、結婚して大丈夫なの」とか「スピード婚だと別れるのも早いかもよ」とズケズケと意見してきました。陰では「30過ぎて婚期を逃したらマズイと思って、焦って結婚した」と言われていたようです。

それからしばらくして、妊娠をきっかけに私は会社を退社して専業主婦となりました。夫はその3年後に転職し、元々専門であった物理や統計学を使う仕事を得ました。

その新しい会社に夫が入社後、生活は一変したのです。山奥の技術センターに通うため、夫は朝6時半に家を出て、帰宅するのが夜の11時過ぎ。こんな調子なので、帰宅して軽く食事をし、入浴をすると床につくの繰り返しでした。

そして私も4時半起きで、昼間は育児と介護、さらに家事をして、寝るのは1時半というのが日常。身も心もクタクタになっていたのです。
夫も私も疲れ切っているために、お互いのことを思いやる余裕もなくなっていました。お互いに口を開けば愚痴ばかりになり、それを聞きたくなくて、徐々に話すことも少なくなったのです。

そして私が40歳になった頃には、私達は子どもを介さなければ、言葉も交わさなくなっていました。夫は夫で責任ある仕事を任せられて集中している時期でしたし、私は私で子ども2人と義母の介護があったので、お互いに『自分はこんなに頑張っているのに、配偶者からの理解が得られない』と思い込み、増々2人の間に距離が出来ていったのです。

また夫も私も意地っ張りで、自分から折れるなんてことは出来ないと思い込んでいました。私が、子どもたちがある程度大きくなったら、熟年離婚をしようとまでぼんやりと考えていた45歳の頃、異変が起こりました。夫が悪性リンパ腫を発病したのです。

極めて生存率が低い、進行性のリンパ腫でした。夫は余命宣告を何度も受け、その度にそれを覆してきてくれましたが、2年間病魔と闘って、亡くなりました。

その闘病の2年間、その前の5年の空白を埋めるように、夫は私に歩み寄ってくれました。いいことも悪いことも、自分が感じていること、思っていること、これまでのことをすべて話してくれたのです。私も夫に今までの胸の内を明かし、お互いに謝り、許しあうことが出来ました。

ただ、遅すぎました。

せっかく互いに寄り添う気持ちが起きたとしても、遅かったのです。確かに、わだかまりのあるまま、夫を亡くしてしまうよりはよかったかもしれませんが、あの時もっと話していれば良かった、私の方から折れることができていれば、関係修復が早く出来ていた...など、後悔しかありません。私の一生で最大の後悔になると思います。夫がいなくなって3年経ちましたが、この思いはまだまだ消せません。

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