「体の不調」や「老後の貯蓄」などの心配事は、誰もが抱えているはず。考えすぎて心の重荷を増やす、嫌なサイクルに陥ってしまっている人もいるかもしれません。そこで取り入れたいのが「禅の習慣」。今回は、google本社で禅の講義を行う話題の禅僧による、「心配を取り除くための"ちょっとした思考のクセや生活の習慣を変える方法"」について、連載形式でお届けします。
※この記事は『心配事がスッと消える禅の習慣』(松原正樹/アスコム)からの抜粋です。
前の記事「余裕ある自分になるために鍛えたい「心の免疫力」/禅の習慣(4)」はこちら。
■禅の習慣
「吐く」を意識する深呼吸で、何事にも動じない「心の床の間」をつくる
和室にしつらえられた床の間を見て、「なんのためにあるのかな?」と考えたことがある人もいるでしょう。
床の間は、ひと言でいえば、和室の余分な場所です。この余分があるからこそ、落ち着きと穏やかさが生まれます。
イメージしてみましょう。
部屋の四面はすべて壁で、逃げ場はどこにもありません。どれだけ掃除が行き届いていても、明るい色のペンキが塗られていようとも、壁に海の絵が掛けられていたとしても、息がつまるような感覚はずっとついてまわります。
では、その部屋に床の間をつくってみましょう。
それだけでなんだかホッとして、心にゆとりが生まれないでしょうか。
抹茶茶碗も同じです。
寸分の狂いもない正円で、焼き物特有の凹凸さえも規則正しく整っていたら、味わいがなく、つまらないと感じるはずです。少し形がいびつであったほうが温もりを感じ、心が満たされたように感じるものです。
人間も同じです。四角四面に物事をとらえ、みんなと一緒でなければと思い、社会の目やルールに縛られた生き方をしていると、逃げ場がなくなり、心が押し潰されそうになって当たり前。心にも、床の間が必要なのです。
心配事を抱えていたり、何か切羽詰まった事情があるときはそのことで頭がいっぱいになり、誰かに声をかけられても気がつかないなど、周りが見えなくなってしまいがちです。
余裕を失ったときにこそ、心に床の間です。
深い、深い、深呼吸を一回。
歩きながらでも、立ち止まっていても、電車の中でも、場所はどこでもかまいません。鼻からゆっくり吸って、吸った倍の時間をかけて、ゆっくり吐き出します。吐き出したとき、気が下に降りていって、心が静まるのを感じるはずです。これで少し、心に床の間ができました。
さらに心配事でモヤモヤしている気持ちを落ち着けたいときには、吸う息と吐く息に意識を集中して、もう一回深く深呼吸を。「今、息を吸っている」、「今、息を吐いている」という気づきが、自分が生きているという実感を与えてくれます。
あるいは、深呼吸によって外から空気をもらい、自分の中にあった空気を外に吐き出すことで、自分は一人ではない、自然とのつながりを持っているんだと、再確認してみるのもいいでしょう。
深呼吸を一回。
禅の世界ではこう教えてはいませんが、これが、もっともミニマルな坐禅だと私は思っています。心配や不安に押しつぶされそうなとき、まずは深呼吸をする習慣を持ちましょう。
かくいう私も、ことあるごとに深呼吸のお世話になっている一人です。
恥をさらけ出しますが、この2日間、朝から深呼吸しまくっています(笑)。心配事の種は、1週間後に控えた学会で発表予定の論文で、まだ最初の一行すら書けていません。いやぁ、本当にマズイです。困っています。
この先のスケジュールを考えると、夏休み中の娘たちと遊びに行く約束、講演などの仕事、打ち合わせなどで予定はぎっしり。だから、余計に気持ちは焦ります。
しかし、焦ったところで何かが変わるわけでもありません。だから、気を落ち着けるために、何度でも深呼吸をします。
そして、論文を書き終えた後の自分をイメージします。笑顔で気持ちも晴れ晴れ。爽やかに伸びの一つでもしているでしょうか。「これまでの人生も、なんだかんだといって、ちゃんと仕事は終わらせてきたじゃないか。大丈夫」「焦っても何も始まらない。今できることは何か」
そんなことを自分に言い聞かせ、深呼吸しながらイメトレをすると、ひとまず焦る感情を脇に置いておくことができ、今やるべきことにまっすぐ向き合えます。
結果的に、これがほかの仕事を早く、しかも効率よく終わらせることにもつながり、どこかで論文を書く時間を捻出できるようになるのです。
大丈夫。
心に床の間がある限り、物事はよい方向へと進みます。
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