大切な家族や友人の死は、その先の人生を左右するほどの深い悲しみに包まれます。そんなつらい体験が、「苦しいことだけでなく、人生で最も大切なことを教えてくれる」という聖心会シスター・鈴木秀子さんは、著書『死にゆく人にあなたができること』(あさ出版)の中で大切な人を幸せに送り出すためのヒントを教えてくれます。今回は同書から、死との向き合い方を気づかせてくれるエピソードを厳選してお届けします。
死にゆく人に何をしてあげられるのか
以前、小説家の遠藤周作さんと、「死にゆく人にしてあげられること」について話したことがありました。
ちょうどそのころ、遠藤家に20歳代の若い女性がお手伝いとして働いていました。
遠藤さんと順子夫人はたいそうかわいがっていて、彼女も「私は一生ここの家にいます」と言っていたといいます。
あるとき、故郷の実家に帰省して帰ってきてから体調を崩し、初めはみんなが風邪をひいたのだろうと軽く考えていたのですが、どうも様子がおかしいということで彼女を病院に連れていったそうです。
診断の結果は骨髄のガンで余命1カ月の宣告。
年齢が若かったので転移も速かったのでしょう。
しばらくして彼女は亡くなってしまいました。
遠藤さんには、「彼女のために何もしてあげられなかった」という思いが強くあったのだと思います。
当時、私は多くの病院を訪問して、末期の患者さんたちに祈りを捧げ、最期の看取りを続けていました。
私のなかにも、常に「いったい自分には何ができるのか」という思いが巡っていたころでした。
ふと、遠藤さんが「死んでいく人のそばにいて、いったい何ができるんだろうね」とおっしゃいました。
私は、「本当に何もできませんね......ただ、そばにいて、手を取って、いっしょに呼吸をして息を合わせて、"私はあなたといっしょにいますよ、あなたはひとりじゃないんですよ"と言ってあげることしかないのかもしれません」と言いました。
すると遠藤さんは、ふと穏やかな表情になり、「僕もそう思う」と。
そして、こんなことをおっしゃいました。
「お手伝いのあの子が入院してから、僕ができることは嘘を言ってあげることだけだった。医師から、あと1カ月の命だと聞かされたら、"1カ月もしたら病気はラクになるとお医者が言っていたよ"と。状態が悪いと医師から言われれば、"今日は、ゆっくり休んだほうがいいと言われたよ"というように解釈を変えて話をした。本当の最後の最後になったときは、"誰もあなたを見捨てていないよ、あなたを大事に思っている人がずっといっしょにいるよ"と手を握って伝えることしかできないよね」
弱い立場の人や虐げられた人への救済を文学の大きなテーマとしてきた遠藤さんの根源的な思いを、私は共有できた思いがしました。
余談ですが、ちょうどこのころ、遠藤さんは蓄膿症の手術後にガンの疑いがもたれ、お手伝いの彼女と同じ病院に入院していました。
順子夫人は二人の病室を行き来して看病をしていました。
彼女が亡くなった日、順子夫人が遠藤さんの病室に報告に行くと、「今、亡くなっただろ」と言うので、どうしてわかったのか順子夫人が聞くと、「今、ここへ別れのあいさつに来たよ。俺がうとうとしていたら、あの子がニコニコしながらやってきた。そして、"旦那さまはガンじゃないです、大丈夫ですよ"って言うんだよ。元気なころの姿のままだった......」とおっしゃったそうです。
死は終わりではなく、死の先に続く生があること、そして死者と生者の絆は永遠につながっていくことの、ひとつの証なのではないかと感じます。