<この体験記を書いた人>
ペンネーム:まさかず
性別:男
年齢:42
プロフィール:父親の遺品整理に四苦八苦する一人息子。
私(42歳)の父親が他界(享年65歳)してから、早いもので6年になります。
生前「残したモノは全部お前にやる」といった父の発言を遺言と解釈した母は、「男の人が集めるモノはよく解らないから任せた」と私に丸投げしてきました。
文字通り実家に残った「モノ」=父親のコレクションは、全て私が整理してゆくことになりました。
部屋の中で確認できるものは、パソコン・鉄道模型・レコード・オーディオ・漫画本などです。
売却すればそれなりに値段が付きそうなものも中にはありますし、鉄道模型は子どもの時に遊ばせてもらったものなので、少しワクワクする気持ちもありました。
しかし母親に「物置の中にもあるから、そっちもよろしくね」と言われ覗いてみると、クルマのヘッドライトや数十年前のボウリングの玉もありました。
流石に多趣味で新しもの好きの父です。
全体ではかなりの量だと見積もりました。
これは勢いで一気に片付けないと後々苦労しそうだと、実家に帰る頻度を増やし、整理を進めていきました。
しかし、思い通りにならないものが出てきました。
まずはパソコン。
晩年ゲームが好きだった父は、画面上の処理が間に合わず、動作が遅くなったりしないように、パソコンを自作で組み立てていました。
パスワードは生前に聞いていたので、ログインすることまでは出来ますが、使用中に止まってしまい再起動の繰り返し。
次第にその再起動もできなくなりました。
結局復旧させる事ができず、無償でデータ処理をしてくれる業者に引き取ってもらいました。
次にレコード。
100枚以上ありましたが、数十年動かしていなかった為に故障しており、聴くことができませんでした。
それでは宝の持ち腐れとレコードショップへ買取を依頼。
5,000円以上の値段が付きました。
これはラッキーと喜んでいると母が、「あたしのレコードも混ざってたんだけど。まあいいや」と少し寂しそうな反応をしました。
また、片付けに行くたびに母が父の洋服を渡してくるようになりました。
「今日は、これ出しておいたから持って行ってね」
行く度に種類を決めて、この日スーツ、次はセーターとかなりの量を渡してきました。
サイズは着られても、当然時代が違うものもあります。
「さすがにこれは着れないよ」
「うーん。そうなんだけどね」
そこでふと気づきました。
母は自分で捨てる事をためらっていたのだと思います。
父が亡くなっても「やっと介護が終わった」と気丈に振舞う母なので、決して言葉にすることはありません。
父のコレクションの整理も、当初は部屋がスッキリすると歓迎ムードだったものの、次第にガランとしてゆく部屋に寂しさを感じ始めているようでした。
「そんなに急ぐことはないのかも」
わたしも「いかに早く片付けきるか」を目標にしていましたが、考えを改め、気持ちの整理とのバランスをとりながら片付けていこうと考えました。
パソコンやレコードと物置を少し片づけたところでペースを落とし、正月やお盆等で実家に帰った時に、少しずつ片付ける事にしました。
しばらくは帰る時に母が「これ、着てみたら?」と服が出てきましたが、黙って一旦持ち帰り、自宅で選別し処分するようにしました。
断るのは簡単ですが、受け取ってあげることも大切と考えるようにしました。
ゆっくり片付けるようになってからは余裕ができ、実家で母と会話する時間も持てるようになりました。
「こんなの出てきたよ」
そう言って出てきたものを見せると、そこから父の話をしてくれることもあります。
また、モノが少し片付いた部屋の壁紙や絨毯を張替えるリフォームをDIYでやってみました。
これは母も部屋がきれいになったと喜んでくれました。
結果、6年たった今も「整理中」の段階のままですが、思い出話でも聞きながら気長に整理してゆくことにしています。
物置の奥で眠るボウリングの玉に辿り着くのは大分先になりそうです。
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