<この体験記を書いた人>
ペンネーム:うずしお
性別:男
年齢:63
プロフィール:63歳の団体職員です。最近、母の四十九日が終わりました。
私は63歳の団体職員です。
昨年末に母(89歳)を亡くしました。
母は数年前から認知症を発症し、たまに息子である私のことすらわからなくなる事もあるほどでした。
そして昨年末の雨が降った日、外に出かけた母は風邪をこじらせて亡くなりました。
お葬式の最中、お寺の住職さんの読経が聞こえる中、私はふと、びしょ濡れで帰宅した母の姿を思い出しました。
そして『なぜおふくろは雨が降っているのに外に出たのだろうか』と疑問に思いました。
無事にお葬式も終わった夜のこと、近所の馴染みの人が母のお別れ会をしたいと家に来てくれました。
みんな母とは顔馴染みの人で、私も小さいころからお世話になった人たちでした。
私はお礼を言いながら、母の居る広間に招き入れました。
みんな揃って母に手を合わせてくれたあと、私は何気なくつぶやきました。
「なんでか雨の日に出て行ってしもてなあ。今まで変に徘徊することやなかったけん、気づけんかったんじゃ」
すると、その中の一人の人が口を開きました。
「わし、お前の母ちゃんが、雨の日にお墓におったんを見たかもしれん」
その人は用水路の水が雨で溢れていないかと山手に入ったときに、お墓の近くで母のような人影を見たのだそう。
「人の気配がしような気がしたけんど、雨やし気のせいかと思っとったんじゃ......。もっとよう見とったら、こんな早う逝かんですんだかもしれん」
悔やむようにそう言ってくれたのです。
私はそんなことはない、きっと寿命やったんよとその人に言いながらも『もしそれがほんまやったら、なんで墓に......?』と考えてはっとカレンダーを見ました。
母が雨の中外に出てしまった日。
その日は10年前に死んだ父の命日でした。
「親父の命日やったんじゃ......」
そう呟くと、母のお茶飲み友達だったお隣さんが納得したように話します。
「そう言えば、『お父ちゃん、今お墓に一人おるんよ』寂しそうに言いよったわ」
父が亡くなったとき、私は墓を建て直し、ご先祖様と父で二つの墓石を用意しました。
確かにその時、父の遺骨一つだけを他の遺骨と分けて入れたのです。
母は私にはそのことを言ったことはなかったのですが、新しい墓石に父の遺骨一つだけ入っていることを気にしたのでしょう。
私の両親は地元でも有名なおしどり夫婦でした。
父が亡くなったときも親戚たちの前で気丈に振る舞っていた母ですが、本当は寂しかったのかもしれません。
母は認知症がすすんでも父のことは覚えていて、雨の中命日参りをしていたのだな...とその場の全員で涙しました。
現在は父と母、2人がそのお墓に寄り添うように入っています。
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