<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ひばり
性別:女
年齢:40
プロフィール:都内で働きながら2歳の娘を育てています。実家に母が1人なので夫に同居してもらい、一緒に暮らしています。
我が家は私が14歳の時に父と母が離婚してから、母子家庭でした。
父は家にいることが少なく、私は迷わず母と暮らそうと決めていました。
母は私が産まれてからずっと働いていました。
そんな家庭でしたので、母は父親役と母親役を1人でこなしていたと思います。
母の性格はそのような状況が原因だったのか、とても保守的で異常なまでの心配性でした。
私の記憶では、子供の頃から褒められた記憶はほとんどなく、全て自分が悪いという決めつけで物事を判断されていました。
そんな性格の母に育てられたため、私自身も人と関わること、自分の気持ちを素直に表現することが苦手になってしまい、とても短気で内向的な性格になりました。
しかし専門学校を卒業し、都内で働き始めた21歳頃、知人の紹介で今の夫と出会いました。
彼はとても優しくおおらかな性格で、本当に怒ったことがないような人。
私と正反対の性格だったので一緒にいて本当に新鮮で楽しかったです。
一緒に色々なところに出かけ、彼の紹介で楽しい友人も増え、自分を表現してもいい、自分の言葉で話してもいいということに気が付いたんです。
次第に性格もおおらかになり、積極的に人と関われるように変われたと思います。
そして、30歳の時に彼と結婚。
母が実家で1人になってしまうため、同居してもらうことになりました。
夫も母と同居することで母の異常な性格に気が付き、母のことを「脅迫型心配性」と名づけました。
夫のお義母さんは、私の母と正反対でおおらかで積極的な性格。
70歳になる日も近いのに、新しいことをどんどん吸収しようとするバイタリティーに溢れており、考え方もとても柔軟です。
こういうお義母さんに育てられると、夫のような人間になるのだと確信しました。
今自分が一児の母になり、働きながら子供を育てることは本当に大変なことだと実感しています。
当時の母は本当に大変だっただろうと思います。
しかし、私は母のような子育てはしません。
子供とはちゃんと向き合い、褒めることを大切に育てていきたいと思っています。
同居している母は娘をとてもかわいがってくれており、子育ての協力もしてもらっていますが、やはり「脅迫型心配性」で娘に接することもあります。
正直、娘が私のような性格にならないか少し心配ではあります。
子供がいない時は、母とぶつかることは避けてきましたが、子供のことに関してはどうしても譲れないので、声を荒げてぶつかることもあります。
大切な1人娘なので、必ずおおらかで自己肯定感を持つ人間に育てていきたいと思っています。
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