<この体験記を書いた人>
ペンネーム:アラ還男
性別:男
年齢:60
プロフィール:1月に還暦を迎えた男性です。二人の子どもは独立して家を出てしまい、妻と二人きりの家にも慣れてきたところです。
「今年も帰ってこないのか、今年ぐらいは帰ってくればいいのになあ」
昨年末、子どもたちからのLINEに思わず愚痴がこぼれました。
私には娘(28歳)と息子(26歳)がいます。
二人とも大学進学を機に東京に出てしまい、そのまま就職。
まあ、地元にいい仕事があるわけでもないのでしょうがないなあ。
そうは思っていますが、「新婚に戻ったみたいね」と前向きな妻(59歳)ほどには二人きりの生活にはなかなかなじめませんでした。
それでもまだ学生の頃は、年末年始には必ず帰省してくれていましたので、たまに「4人家族の賑わい」も感じられていました。
しかしまずは娘が就職し、「駆け出しはなかなか暦通りには休めないよ」とか言いながら足が遠のき、2年後には息子も同じ状況になりました。
今では、たまのLINEぐらいで、年末年始も「忙しいから」の一言で帰って来ません。
私もすっかり妻と二人きりの生活に慣れてしまい、さほど寂しくも感じなくなりました。
しかしこの正月は違います。今年は私(1月生まれ)が還暦を迎える正月なのです。
「さすがにこの正月ぐらいは子どもらも家族で過ごしてくれるだろう」
そう期待していました。
しかしその期待も空しく裏切られました。
いつも通りのそっけないLINE一本です。
「どうしたの?」
スマホを見つめて黄昏ているのに気付いたのか、妻が声をかけてきました。
「いや子どもたちさ、今年も帰ってこないって」
「そう? 残念ね」
「今年は俺も還暦だっていうのにさ...来年はお前の番だけど、こりゃ期待できんな」
つい嫌味を言ってしまいました。
ところが妻は「そうかしらね?」と平然としたものです。
(なんだよ、それも気にならないってか? 薄情なもんだな、母親ってのは)
そう違和感を覚えたのを覚えています。
二人きりで大晦日を過ごし、年越しそばを食べ、新年の挨拶をしてお節をつまみ、近くの氏神様に初もうで、ここ数年過ごしている通りの年越しでした。
すっかり慣れたもの、と言いたいところですが、期待があっただけにひとしお寂しく感じる正月でした。
いよいよ誕生日になりました。
「ねえ、今日は外で食事しましょうよ」
妻が珍しく言い出しました。
「還暦だものね、ホテルに予約しといたの。お祝いしましょうよ」
二人きりでか、とも思いましたが、まあ人生の節目だしな、と言われるままにホテルの懐石料理店を訪れました。
「予約していた●●ですけど...」妻が名前を告げると、お店の方が「お待ちしておりました。お連れ様はもうお見えになっていらっしゃいます」と言います。
お連れ? 誰か呼んでるのか?
頭に「?」マークを浮かべながら案内された個室に進むと
「お父さん、おめでとう!」
「おやじ、還暦、ご愁傷様!」
「なんでしょ、口の悪い」
そこにいたのは娘と息子でした。
一瞬何事が起きたか理解できず、絶句です。
「ごめんね、あなた。二人に絶対内緒にしろって言われてて」
娘がプレゼントの包みを差し出しながら息子と
「だってねえ、こういうのはサプライズでやらないと」
「そうそう、面白くないもんなあ」相変わらず仲のいい姉弟です。
「あれ、もしかして、お父さん泣いてる?」
「いやあ、これは大成功ですな、姉上」
やたらと浮かれている子どもたちを見ながら、確かに少々視界がぼやけています。
還暦は子どもに帰る日だということですから、今日ぐらいは心のままに嬉し泣きしてもいいでしょう。
ありがとう、みんな。
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