<この体験記を書いた人>
ペンネーム:文月奈津
性別:女
年齢:63
プロフィール:長男、次男、主人の4人家族。長男は近所で一人暮らし。主人共々体力が落ち、毎晩9時半には寝てしまう毎日です。
新型コロナウィルスで、ステイホームが続き、閉塞感がどんどん高まってきていますね。
友人とランチがしたい、ウィンドウショッピングがしたい、近場でいいから旅行したいとつい思ってしまいます。
ふと、私は忍耐力が思ったより弱いのかしらとつぶやいたとき、今から10年前、77歳で他界した父の言葉を思い出しました。
昭和58年、私が27歳の頃です。
ある商社のワープロセンターで働いていた私は、毎月100時間を超える残業をしていました。
上司に業務改善の提案をしても取り合ってもらえず、疲れ切って父に電話で愚痴をこぼしたことがありました。
そのとき、父がこう言ったのです。
「そんなことぐらいでめげてしまう弱いお前ではないだろう」
父に愚痴をこぼしたのも、励まされたのもこの一回きり。
でも私の心に残っています。
父から言われた言葉で覚えているものが他にもあります。
1つは私が高校3年生で進路の希望を話したとき。
「大学の国文科を出て、図書館司書になりたい」
私がそう希望を伝えたとき、父はこう言ってくれました。
「何になろうと自分で考えて決めたのならいい。ただ、お前は何でものぞいてみたい性格だ。遠くで見ればわかることでも、近くに行って確かめたいんだ。以前行ったユネスコ村には海外のいろいろな家が建っていただろう。外見はみんな違うけれど、どの家の中も家具のひとつもなくからっぽだった。ひとつ見ればわかるのに、歩く途中に別の外国の家がある度に、お前は走って中を見に行った。そういう自分だと自覚して事にあたれ」
そして主婦になった私には、父はこんなことを言いました。
「お前は何か仕事をして、たとえそれが成功しても、それで食べていけるようにはならないな」
私は父が嫌いでした。
黒いものを白と言って押しつけてくるところ、自分は頭がいいと鼻にかけ上から目線で話すところ、挙げたらきりがありません。
勤務先の不動産会社が倒産した時は、なにかにつけ家族を怒鳴りました。
その後立ち上げた2つの事業はどちらも倒産し、女性問題で何度母を泣かせたことか。
苦労ばかりしていた母は末期のがんとなり、39年前に50歳の若さで亡くなりました。
ただロマンチストな父だったのでステキな思い出もあるし、羽振りのいいときには贅沢もさせてもらいました。
でも、プラスとマイナスのシーソーがあるとしたら、完全にマイナスに傾いています。
私のことだって、父は少しも理解しているとは思えませんでした。
でも、60代になってから昔を振り返ってみると、父が言った言葉はすべて私に当てはまっています。
面白そうだと何にでも首を突っ込んでみるところ、いまひとつ根性が足りないのか、ものになっている特技がないところなど。
結婚して今年で33年、父とは全く違うタイプの主人を選びましたが、結婚生活にはさまざまな苦労がありました。
でも、それぞれの節目で「そんなことぐらいでめげてしまう弱いお前じゃないだろう」という父の言葉がどこかで私を支えてくれていたように思っています。
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