<この体験記を書いた人>
ペンネーム:こまめ
性別:女
年齢:47
プロフィール:現在75歳の母は50歳のときに再婚しました。同じような年齢になってみて、理解出来ることが増えた気がします。
うちの両親は再婚同士です。
母は私が12歳、姉が19歳のときに実父と離婚、実父はそれから5年後に病死しました。
姉は母の離婚後、親元を離れて東京に就職。母は働きながら私を育ててくれました。
そんな母が50歳で再婚した現在の父は、当時45歳。
離婚後息子3人を育てて、ひとり暮らしをしていました。
当時、私は母から、結婚を前提としたおつき合いをしている男性がいることを知らされていませんでした。
ですので、いきなりの「お嫁にいくわ!」宣言後に「会ってほしい人がいる」という母に、最初は戸惑いました。
そして、姉と3人で、はじめて会ったその人は...口ベタで無口。
「はじめまして」と挨拶する私に、「まあまあ、挨拶はあとで。先に食事に行こう」とひと言。
今思えば、お互い緊張していたんだと思いますが、第一印象は...はっきり言って最悪でした。
聞けば「3人息子がいて、みな独立しているから心配はいらない」「母には仕事を辞めて家庭に入ってほしいと思っている」と。
姉は「おめでとう! お母さんよかったね!」と言い、祝福していましたが、私は祝うことができませんでした。
母には幸せになってほしいけど、私たちは蚊帳の外で、おいてきぼりにされた気分だったのです。
そしていよいよ母が再婚。
母は新たにマンションに移り、私も母と暮らした部屋から出て、初めてのひとり暮らしをしました。
ですが、母が再婚して3カ月ほど経ったころ。
独立していたはずの3人の義弟(新しい父の息子)が、両親の住むマンションに同居することになったのです。
それぞれ事情があり親元に戻ったわけですが...大変なのは母です。
いきなり男4人分の料理や洗濯をすることになったのですから。
でも、当時、へそを曲げていた私は、母の大変な様子を聞いても、一切手伝いませんでした。
...そんな状況を一変させたのが、姉です。
その年の年末に帰省した姉は、私と3人の義弟たち、それぞれにカミナリを落としたのです。
まず私は「親に対する態度がなっていない」「父の話に聞く耳をもっていない」とビシっと指摘されました。
「いつまでも意地はってるのはらしくない!お母さんだって寂しいんだよ」と。
そして義弟達には「おばさんって呼ぶなら、うちのお母さんに料理や洗濯させないで! うちのお母さん、あんた達の家政婦じゃないんだから!」と一喝。
そんな姉の姿を見て、私は拗ねた子どものままなのだと、実感できたんです。
その後、義弟はそれぞれ実家を出て結婚。
自分が「親」になって意識も変わったようで、母との同居、そして母が自分たちの身の回りの世話をしてくれたことへの感謝を、今でも私に言ってきます。
そんな私も、28歳の時、一時実家に戻りました。
自転車事故に遭い、回復するまでペットとともにお世話になったのです。
そんなときも、父は嫌な顔ひとつせず、受け入れてくれて......。
その後、30歳で家を出て40歳で結婚。
結婚式では、父が号泣してくれました。
口ベタで不器用な父。
でも、母が選んだその人はとても優しい人でした。
そんな私も、母が再婚した「50歳」という年齢に近づきました。
心細さや不安を感じていただろうことも、理解できる気がします。
父と出会えて、一緒に人生を歩める新たなパートナーが出来て、安心しただろうことも。
「母さん」と呼ぶ父に「私の母さんだから! おじさんにとっては奥さんでしょ!」「いや、おれの母さんだ!」なんて言いあったのも、今ではいい思い出。
本当に打ち解けるまで長かったけれど、大切な家族になりました。
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