難病を患っても弱音を吐かなかった父。献身的に介護した母。最愛の父の最期の姿に...

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:すずめ
性別:女
年齢:53
プロフィール:夫と子ども2人と暮らす主婦。1年前最愛の父が他界。

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私の父は真面目で厳しかったけれども、陽気で明るい人でした。

一方、母は明るくて可愛らしい女性。

年が離れた兄は陽気で優しく、私は何不自由なく幸せに育ちました。

父は典型的な昔気質の亭主関白で、家族間では父が絶対的に強く、常に身を挺して家族を守ってくれていました。

そんな父が15年前突然、脊髄の難病を発症し、下半身に麻痺が生じ半身不随となってしまったのです。

定年を迎えても父は元気いっぱいで、母と旅行に行ったり、兄の子どもや私の子どもを色んな所に連れて行ったりしてくれていました。

変わり果てた姿の父に、家族全員がしばらくの間、現実を受け入れることが出来なかったことを覚えています。

父は家が大好きだったので、母が中心となり在宅介護をすることになりました。

父は歩けなくなっても皆の前では決して弱音を言わず、陽気に振舞い、母も献身的に父の介護をしていました。

しかし母が6年前に腰を痛めてしまい手術をしました。

この時も父は、自分の方が重症であるにもかかわらず、常に母の心配ばかりしていました。

腰が良くなると思い決断した母の手術でしたが、結果的に手術前より悪くなってしまい、父の介護どころか杖をついて歩くのがやっとの状態になってしまいました。

そんな母の姿を見て、父は自分が悪いわけではないのに「自分のせいだ」と自分を責めていたようです。

1年前、父の様態が急変し、緊急入院しました。

直腸癌が原因で大腸、肺にも癌が転移していて、余命3カ月の宣告をされました。

そんな時でも父は母を心配し「途中で転んだりしたら大変だから、お母さんはお見舞いに来なくていいよ」と母に言っていたのです。

それでも、兄と私が交代で母を連れて病院に行くと、とても嬉しそうにしていました。

日々意識が混沌としてきて、だんだん喋ることもままならなくなっていた父ですが、うわ言でも母の心配をしていました。

緊急入院をしてから12日目に病院から父が危篤との連絡を受け、母を連れて病室に向かうと、苦し気に呼吸をしているだけの父がいました。

皆が声をかけても反応はありません。

しかし母が声をかけると、かすかに指が動き、最期は母の顔を見て息を引き取りました。

後から兄に聞いたのですが、亡くなる5カ月前、父は自分の寿命を感じていたのでしょうか、母のことを兄に頼むと言っていたそうです。

改めて父の母への強い愛情を感じました。

父の死は辛く悲しいですが...父と母の夫婦の愛情に、哀しみとは別に胸がいっぱいになりました。

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