「病気の名前は、肺がんです」。突然の医師からの宣告。しかもいきなりステージ4......。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。21章(全38章)までを全35回(予定)にわたってお届けします。
僕は研修講師の仕事が終わった後、夜は葛飾区にある「マナベボクシングジム」でトレー ナーの仕事もしていた。
仕事と言っても無給のボランティアだが、プロ選手を3人担当していて、彼らと一緒に頂点を目指してトレーニングの日々を送っていた。
真部会長には僕ががんであるかもしれないということだけ、前もって伝えていた。
ジムへ向かう階段を上ると、サンドバッグやパンチングボールを叩く、ボクシングジム独特の重低音が聞こえてきた。
毎日聞きなれたズンズン響くこの音が、なぜか新鮮に聞こえた。
「刀根さん、どうでした?」
ジムに入ると真部会長が心配そうに話しかけてきた。
「いやあ、自分でも驚きでした。ステージ4でしたよ」
「マジですか!」
真部会長は目を大きくすると、言葉を失った。
「1年生存率が3割だって、ネットでは書いてありました」
「......」
「でも、僕は必ず治りますから、必ず治してここに戻ってきますから」
「そうですよね、不可能を可能にするのは、その気になれば難しいことじゃないですからね」
そう、ボクシングの世界では不可能といわれたことを成し遂げた人たちが大勢いる。
僕もジャンルは違うが、その一人になるんだ。
「ということで、治療が一段落するまでジムはお休みさせていただきます。今月は大平と 工藤の試合がありますが、申し訳ないです」
「いやいや、それは治療を優先してください。大平と工藤は私が見ます。長嶺もなんとかしますから」
真部会長は僕の担当している選手たちの面倒を約束してくれた。
そうこうしているうち に選手たちがやってきた。
「今日の検査で肺がんだとわかった。ステージ4だそうだ。ステージって1から4まであって、4は一番どん詰まりなんだ。4の次はないんだ。だから残念だけど、お前たちのトレーナーをできなくなった。セコンドとしてリングサイドにつくこともできない。すまない」
「何言ってるんですか、僕らは大丈夫です。刀根さんは自分のことをやってください。今まで刀根さんに教わったことを忘れないで練習します。刀根さんのためにも、絶対に試合に勝ちますから、見ててください!」
少し涙が出たのをごまかすように、上を向いた。
「ありがとう」
僕は家路に就いた。
今日は本当にいろいろなことがあった。
そして今日一番の仕事がまだ残っていた。
妻になんて言おう?
僕たち夫婦は外見上はどうあれ、コミュニケーション的にはあまりうまくいっていなかった。
僕は研修の仕事やボクシングジムのトレーナーで忙しくしていて、帰宅するのは毎日午後10時を回っていた。
テレビニュースを見ながら妻が作ってくれた食事をかきこみ、 シャワーを浴びて12時頃に布団にもぐりこむ。
その間、妻とはまともな会話がほとんどなかった。
妻はもともとあまり話をするほうではなく、どちらかというと寡黙といっていい。
おとなしくて口数が少なく、人と関わるのは苦手なタイプ。
だからか夫婦のコミュニケーションは僕が話し、妻が答えるというパターンがほとんどだった。
妻は時々、つぶやくように言った。
「私、生まれ変わったら結婚なんかしない」
「誰の面倒もみたくない。自分ひとりのことだけやっていたい」
「一人暮らしがしてみたい」
僕はその都度、聞き流していたが、妻が時々もらす言葉が心の隅に引っかかっていた。
検査結果を聞いて、妻がどんな反応をするだろう?
ふーん、と聞き流されたらどうしよう?
私はどうなるの!と詰め寄られたらどうしよう?
お金は? 子どもたちの学費はどうするのよ!と責められたらどうしよう?
頭の中をいろいろなシーンがよぎった。
玄関を開け、家に入る。
妻は台所で夕食を作っていた。
「ただいまー」
「おかえり、どうだった?」
妻が心配そうに振り返った。
「驚かないでね、ステージ4だった」
「えっ?」
妻の目から、みるみる涙があふれ出した。
僕は妻の震える身体をそっと抱きしめた。
絶対に死ねない、死ぬわけにはいかない......。