目印は「ヒヨコのキーホルダー」。癌を「癌さん」と呼び、最後まで明るく生きた母

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:すずらん
性別:女
年齢:44
プロフィール:もうすぐ母の三回忌。最期まで優しく、力強く生きた母は私が最も尊敬する女性です。

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もうすぐ母の三回忌。未だに母のことを考えない日はありません。
3年9カ月病気と共に生き、癌に"さん"付けして「癌さんと一緒に生きていくしかないね」と言って、お腹に向かって「癌さん、よろしくね」なんて言ってしまうような母は、私の最も尊敬する母であり女性でした。母はその場の空気をパァーッと明るく照らす力があり、自然と人が集まってきてしまう、昔からそんな印象がありました。同窓会の写真を見ても母の周りには人がたくさんいたのが印象的でした。

母は、病気になってからも泣いたり取り乱したりすることはなく、手術前、検査前、抗がん剤治療中の自分のことをそれはそれは面白おかしく話していました。重い病気を抱えながらここまで明るく、ある意味、楽しく前向きに生きていく母は偉大すぎる存在です。手術3回、入院15回、治療は数え切れないほどでしたが、最後の最後まで母はとてもキラキラしていたように思います。

母は病気になってからも、親しくしている人に病気のことを伝えていませんでした。きっと相手を思ってのことだったのでしょう。母がお世話になった病院は、その地域ではわりと大きい大学病院だったので、誰が通院して誰が入院してるかわかりません。母は知り合いに会うかもしれないとからと、入院中も病室のネームプレートはつけませんでした。そのかわり母の病室とわかるよう、妹が用意したヒヨコのぬいぐるみのキーホルダーをドアノブにひっかけていました。

15回繰り返した入院中、母の病室には看護師さん、清掃の方が出入りしては、ついつい長話をしてしまうようでした。時には若い看護師のお悩み相談室になったり、そのとき担当じゃない看護師さんが次々顔を出しては楽しくお喋りしたり。同じ病気の人とデイルームでおしゃべりすればすぐに友達になって、入院するたびに知り合いが増えていった母。

毎回、ヒヨコのキーホルダーをつけると、誰かしら顔を出してくれました。私と電話で話していても、途中で誰か来ると突然ブチッと電話を切り、来た方とお喋りに花を咲かせていました。

母が亡くなったのは、母が好きだった季節・晩秋でした。お昼過ぎに息を引き取った母。きれいにお化粧してもらい、洋服に着替え、病院を出たのは1日が終わろうとする黄昏時になっていました。

病院の裏門から母の亡骸、ヒヨコのキーホルダーとともに3年9カ月お世話になった病院を後にする際、夕焼け空の下で、たくさんの看護師さんが深々と頭を下げて見送ってくださいました。その光景は今でも忘れられません。母がとても好きそうな秋空の下でのお別れでした。
バタバタと葬儀が終わり、本当に最後のお別れをするとき、またいつか母がお世話になった人達に巡り会えるよう、棺にヒヨコのキーホルダーを入れ母を送りました。
私達家族もいつかあのヒヨコを頼りに母を探したいと思っています。

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