こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年以上が経ちました。義両親と同居しながら介護をしていた当時のことを思い出しながら書いています。
前回の記事:この時期とくに要注意!気温の変化に対応できない高齢者/山田あしゅら
扱いにくい義父に比べ、とても穏やかな義母。
しかし認知症の症状が進むにつれ、徘徊の心配も出始めていました。
関連記事:立ち上がった瞬間に何をしようとしたのか忘れてしまう。義母の指差し確認/山田あしゅら
ただ、徘徊するきっかけはいつも大体義父が関わっていたように思います。
実を言うと義母が家族の中で最初に忘れたのは義父の名前でした。
認知症になってから何かと小言が多くなった義父に義母はどんな思いを抱いていたのか。
傍から見ると認知症である義母なりの感情の裏返しのようにもとれましたが...。
しかし義父が訪問リハビリを受け始めた頃、こんなことがありました。
いつもリハビリが始まる15分前には義父だけ2階へ呼びに行きます。
1階の居間の方が広く、運動するには都合が良いためですが、
階段の上り下りが少々きつくなってきた義母まで一緒に下ろすことはないと思い
義母はそのまま残り、2階でテレビをみていてもらうのが慣例となっていました。
この日は血圧が安定しており、通常のリハビリも出来そうです。
夕方5時ごろから始まる訪問リハビリ。
後はタナカさんに任せ
私は隣の台所で晩のしたくを始めました。
ところがしばらく経った頃
2階から義母が
何やら血相変えて下りて来たのです。
おそらく
義父が1階に下りて行った後
いつものように居眠りが始まったのが
何かの拍子に
目が覚め
義父がいないのに気付いた義母
それで慌てて下りてきた・・・と、そんなところでしょう。
そのまま義母は義父がリハビリをしている居間に入って行きました。
2クール40分のリハビリはちょうど終了間際。
療法士のタナカさんは
と、利用料を受け取ると帰っていきました。
しかし
いつもは、もっとにぎやかにおしゃべりして終わるのに
何やら雰囲気が違います。
すると
タナカさんと私のやり取りを聞いていた義母が
と言い放つではありませんか。
いつもの義母らしからぬ発言に
しばし、ボーぜんとする私。
そういえば思い出しました。
かつての義母は
超ヤキモチ焼きだったんです。
元気な頃はヨメの私がターゲット。
例えば義父が私の作った料理をちょっとでもほめようものなら
実にあからさまな態度に出る義母でしたっけ(笑)
もしかしたら
美人療法士タナカさんにヤキモチが復活しちゃったのかも!
義母は認知症で全てのことを忘れてしまうわけでなく
時々『カチッ』と回路がつながったかのように昔の記憶や感情が瞬間的に戻ることがありました。
また普段は『自分の夫』だった義父の存在を忘れてしまっても
『夫=従わないといけないもの』という昔の妻の概念は奥深くに残っていて
その後認知症がかなり進むまで後追いするのは義父だけと決まっていたのです。
半世紀以上共に暮らした『夫婦の不思議』なのかも知れませんね。
数分もするとヤキモチを焼いていたことなどすっかり忘れているのも
いつものことですけど。
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