こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年以上が経ちました。
前回の記事:異常な浪費を繰り返していた義父の金銭感覚が元に戻るまで/山田あしゅら
住宅街を歩いていると家々のエントランスについ目がいってしまうのはどうやら介護を始めてからついたクセのようです。
私たちが住んでいる界隈は坂道の多いところです。
そのせいか玄関まで何段も階段を上らなければいけない家が結構あるのです。
けれど、そういう家がダメか...というと、そうとも言えないように思います。
前にも書きましたが→段差だらけ!バリアフリーに逆行する純和風建築をどうすれば.../山田あしゅら
在宅で義両親を介護していた頃の我が家はお世辞にも高齢者が暮らしやすい家ではありませんでした。
家を建てる時、施主は現役世代であることがほとんどです。
義父たちも今の場所へ家を建てた一番はじめは30代になる前のことでした。
その後増改築を繰り返し50代で最終的な家の形となったのです。
当時の義父母は気力旺盛、意気軒昂。
身体も頭も自分の思い通りに動いていた頃でした。
おそらく数十年後の自分たちが今のような状態になろうとは思いもしなかったんだと思います。
その当時から義父母の居室は2階にありました。
と、これも義父なりのこだわりだったようです。
義父はそのこだわりを長らく貫き通し
在宅介護が終了し老健に入所することになる間際(1年前)までずっと2階で寝起きしていたのです。
階段は上る時より下りる時の方が危険です。
実際、手に物を持って下りようとし、数段踏み外して頭を縫うまでのケガをしたこともありました。
しかし、義父は2階居室のこだわりをなかなか捨てようとせず、最終的に私たちが無理やり介護ベッドを1階に移すまで頑張り通してきました。
若いころから段差が当たり前な生活をしてきた義父にとって、2階での寝起きも当然のこと。
慣れているからこそ続けられていたことで
もしかするとこの習慣がなければもっと早くから義父の身体は動かなくなっていたかも知れません。
以前お世話になっていた介護スタッフが
と言っていたのを思い出します。
これまで命にかかわるような大きな事故がなかったのはラッキーだったとも言えますし、ひとたび身体が動かなくなれば手すりやスロープなど様々な工夫を施さなくてはなりません。
しかし、バリアフリーを重視するあまり、早いうちから使える機能まで衰えさせてしまうのは本末転倒。
一考の余地があるのかも知れませんね。
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