<この体験記を書いた人>
ペンネーム:Nagisa
性別:女
年齢:49
プロフィール:海外で仕事に没頭していたバリキャリでしたが、親が心配するので婚活してみたら電撃結婚。新米主婦二年目です。
海外を行き来していた24歳の頃、引き抜かれて転職しました。
それからずっと同じ会社に所属し、昨年結婚するまで欧州とアジア諸国で仕事をしていました。
職場は西洋人とアジア人が多く、日本人は私ひとりで、最年少も私。
同僚はほとんどが50歳以上の年配の方でした。
私は社内でも人気のある30代半ばの上司の下で働くことになり、それだけで嫉妬されたものです。
特に、西洋人ははっきりとものを言う傾向にあるようで、当時の大人しかった私は、言葉の壁もあって言いたいことをなかなか伝えられませんでした。
中でも、小児科の元看護師長だったという50代の西洋人女性は、私が一番苦手とした人です。
人生で初めて、そして唯一はっきりと「嫌い」と感じた人です。
殺意さえ抱いたことがあり、その時は自分でもびっくりしました。
それまで、事件を起こすような人のことを全く理解できませんでしたが、「こういう気持ちが事件のきっかけなのかもしれない」と知ったことは、良い経験になったと思っています。
元看護師長は多くの人に嫌われていました。
おそらく、以前の職業のせいでしょう。
誰でも彼でも子供に見えるらしく、捕まえては説教をしたがるのです。
社員寮だったため、私に対しては姑のように私生活まで口を出してきました。
何を、どのくらいの量食べているか、髪をどのくらいの頻度で洗っているのかなどについて、叱りつけてくるのです。
挙げ句の果てに、私が痩せ型であるのによく食べるので、隠れて吐いている過食症だと人々に言いふらしてくれました。
上司は、彼女はまだ若いからよく食べて当たり前だとかばってくれたのですが、結局、皆が私が病気だと信じてしまい、ひどく傷つきました。
彼女と、その友人の2人とは顔を合わせたくないので、私はひとりになれる場所で仕事をするようになり、プライベートでも自室にこもって外出を避けるようになりました。
間もなく、誰の顔も見たくなくなり「人とは口を聞きたくない状態」に陥りました。
声をかけられそうになると走り去るくらい、人嫌いになったのです。
加えて、長年好きな人にも振り向いてもらえず、いつも死にたいと思っていました。
鬱になってしまっていたのです。
仕事はしていましたが、人と接することを極力避ける状態が7年も続きました。
そして、鬱になって4、5年くらいの頃だったと思います。
ある日、私のことを心配してくれた上司から、とある伝統舞踊を習うように勧められました。
中学生の時、体育で取り組んだ「創作ダンス」は得意だったのですが、いかんせん「伝統舞踊」です。
全然興味が持てなかったのですが、尊敬でき、信頼している上司から勧められたことなので、渋々習い始めました。
すると、徐々に鬱の症状が改善されていったのです。
私はすぐにステージで踊る機会を与えられ、思いがけずに会社の人、地元の人たちから賞賛されました。
依頼されて大きな催しで毎年踊るようになったのです。
私が苦手とする人たちからも友好的に声をかけられ、少しずつ人と接触することに慣れていき、何年かすると以前のように楽しく会話ができる状態に戻っていました。
時間はかかりましたが、体を動かしたことが大切だったのでしょう。
そして、踊りを習う中で、自然と人に接する機会が増えたことも良かったのだと感じています。
苦しくて痛い鬱の経験でしたが、今、とても役に立っています。
昨年、私は結婚して新しい土地にやって来ました。
専業主婦になり、慣れない家事に時間を取られ、主人以外に人と接することはなく、息が詰まってくることがあります。
そんな時は体を動かしたり、外に出かけたりするようにしています。
そこで近所の人と簡単なやり取りをしていると、ストレスも発散され元気になれるのです。
人と触れ合うことが難しい時代ですが、だからこそ人との触れ合いで救われることもあると、改めて感じています。
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