<この体験記を書いた人>
ペンネーム:みどり
性別:女
年齢:45
プロフィール:主婦です。長年の確執ってどうやって埋めることができるんだろうというのが悩みです。
小学2年生の娘と年中の息子を育てています。
私の実家は車で1時間ほど。
ちょくちょく孫の顔を見せに帰省していますが、実は私と父の間柄は微妙です。
75歳になる父は交友関係が広く、自宅に知人を招いてお酒を飲むということが多々ありました。
小さいときは人がいっぱいいて楽しいなと思っていたのですが、徐々に煩わしく感じるようになりました。
最初に、煩わしいと感じてしまったのは、私が10歳の時だったと思います。
その日は母の誕生日のこと。
不格好ではありましたが、ホットケーキをデコレーションして家族で食べようと張り切ったのに、夕食の時間になっても父は帰ってきません。
近所のお寿司屋さんにいるとのことだったので、1人でお寿司屋さんに父を迎えに行きました。
「誕生日会やりたいから家へ帰ろう」
「もう少しで帰るから」
父は既にお酒が入っていたためか私のお願いを聞くことはなく、一緒に帰ってくれませんでした。
おじさんだらけのお寿司屋さんに1人乗り込み、勇気を出して帰ろうといったのに軽くあしらわれ、その場で「家族で母の日をやりたかったのに」と泣きました。
一緒に飲んでいた父の友人は「あーあ。泣かしちゃって」と笑い声。
父が家族よりも友人を優先したこと。
笑いものにされたこと。
なんとも言えない感情になったことは忘れもしません。
いつものことなので、母はなんとも思っていないかもしれませんが、当時の私は、母がかわいそうだと思って、涙が止まりませんでした。
10歳といえば、思春期に差し掛かるお年頃。
この日を境に、今まで仲が良かった父娘でしたが、私は父を避けるようになりました。
これだけだったら、思春期が終わるころには関係も回復していたかもしれません。
しかし、その後も父の交友関係は変わらず...そして決定的な出来事が起きたのです。
忘れもしない、高校受験を前日に控えた日曜日の夜。
父はお酒を買って友人を連れて来て...自宅で宴会を始めたのです。
信じられますか?
その中には、私と同級生のお父さんも姿も。
自分の子供も不安いっぱいの中で勉強をしているはずなのに、なぜ?
私の感情は爆発!
父も父の友人の顔も見たくなかったので、母を呼びつけ八つ当たり。
母は父たちに静かにするように言ってくれたようですが、時間が経てば再び大きな声や笑い声。
その都度、母を呼んだり、思いっきり扉を閉めたり。
今までの人生で一番ピリピリしている日なのに、よくそんなことができるなと。
宴会が終わり、父が謝りに来ましたがもちろん無視です。
それでも無事に高校も受かったし、忘れてもいい話なのですが...未だにモヤモヤは晴れず、思い出すと涙が出ます。
孫も生まれ、里帰りでお世話にもなりましたし、会話があるといえばありますが、私と母との関係とは大分違います。
父も年をとりましたし、両親を大切にしたいと思う反面、どう接していいのか考えてしまいます。
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