チャンスの前では図々しく
大学お笑いサークルのメンバーに
小島よしおさん――大学1年の冬(2000年)、「ギャグ大学偏差値2000」に入賞したのを機に、サークルがアミューズにスカウトされることになりました。
当時、アミューズはお笑い部門を持っていなかったものの、「これからは大学お笑いサークルが熱い!」と考えて、大学のお笑いサークルで活動する学生たちを仮所属させて育成するプロジェクトを進行中でした。
スカウトされるといっても、全員じゃありません。サークル全体で15人いるうち、アミューズがスカウトしたいのは5人だけ。しかも、そのうちの3人はアミューズからの指名でじつは決まっていました。う大さんと、当時すでにテレビの深夜番組などに出演していた先輩二人でした。残りの二人は任せるということだったので、その二人をみんなで相談して決めました。
「この5人はどう?」「ちょっと立って並んでみようか」とか言って、いろんな組み合わせの5人を試してみるのです。1年生の僕にはあまり発言権がないのですが、自分が入っていない組み合わせのときは、もっともらしく主張しました。「これだとちょっと身長のバランスが悪いかもしれないですね」とかね(笑)。
僕がメンバーの座をつかめたのはラッキーでした。まだ1年生で、ネタも作ってなければ、大して笑いを取っていたわけでもない。5人でコントをやるときの身長やバランスの問題。ただそれだけでメンバーに滑(すべ)り込んだのです。
僕らは「WAGE(ワゲ)」として活動を始めました。5人でやるコントが珍しかったのか、評判が良く、2年目にはアミューズとの本契約が決まりました。それ以降は、雑誌の月1連載や、事務所の先輩である三宅裕司さんの冠番組での前説やコーナーロケを担当したり、お笑い番組のオーディションに挑戦したりと活動の幅を広げていきました。
「お笑いの道に進もう」と決めたのは、アミューズ所属が本決まりした大学2年のときです。親に「大学をやめてお笑い一本でいきたい」と話したら、大反対されました。それだけなら大学をやめていたかもしれませんが、当時好きだった女の子にも「絶対卒業した方がいい」と諭されて、思い留まりました。
そんなことがありましたが、今となっては大学を続ける選択をしてよかったと思っています。