日本人の平均寿命は、女87.14歳 男80.98歳と世界トップ。平均寿命までたっぷりと時間があります。反面、体力は確実に落ちていき、仕事の需要も難しい中、これからの時間をどう過ごしていけばいいのか、不安にかられる人が多くいることも事実。これからの自分を待ち受ける運命に気づき、自分の心や大切な人たちとどう生きていくか?「青森の神様」として知られる木村藤子さんによる、あなたらしい人生を生きるための道しるべ。
※この記事は『神様が教えてくれる 人生100年時代の幸せな生き方』(木村藤子/KADOKAWA)からの抜粋です。
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品格を磨く
あなたは人を見るとき、〝何〟を見ているでしょうか? 外見? それとも性格でしょうか?
私たちは小さなころから、「外見で人を判断してはいけない」という言葉をよく耳にしてきたと思います。しかし、この言葉はもう少し掘り下げて考えなければいけません。
当然ですが、人は外見で判断できるほど単純な生き物ではありません。しかし、これは外見〝だけで〟判断しては、その人を見誤ってしまうということであり、「外見は人を見る判断材料にはならない」と言っているのではありません。私が30年以上この仕事をしてきて感じるのは、少なからず「内面は外見に表れる」ということです。
心が乱れてしまっていると、それは必ず表に表れます。たとえば何かトラブルを抱えてしまっているときです。
パートナーとの関係性が悪くなっていたり、人間関係で疲れてしまい、怒りや悲しみなど、さまざまなネガティブな感情に覆われてしまい投げやりな気分になってしまっているときなど、そうした感情は表に表れます。
服装がだらしなくなったり、自制がきかず食べすぎたり飲みすぎたり、生活が乱れた結果それが身体に表れたり。またいつも明るかった人が急に暗くなったりすることもあります。
こういった内面からくる外見の乱れは程度の差はあれど、絶えず表れています。つまり、内面と外見は表裏一体であり、陰と陽の関係性にあるのです。そのためどちらか一方を磨いたとしても、本当の意味で美しくはなれませんし、その状態できらびやかに外見を整えたとしても、「品がない」と判断されてしまうでしょう。
「あの人は品がある」
そう言われる人がいます。
品格とはただ外見だけでなく、立ち振る舞い、その他〝内面〟と〝外見〟を総合して判断されます。そのため、外見だけ繕っているだけでは品は身につきませんし、逆に内面を磨くことだけに気を取られ、外見をないがしろにしても品は身につきません。
内面と外見はどちらも整えなければならないのですが、このいずれもバランスよく整えることができている人はそう多くはありません。一般的には外見を整えることのほうが内面を磨くことよりは容易なので、外見ばかりに注目してしまう人のほうが多いでしょう。
内と外の品格のバランスを崩してしまうと、内面の未熟さを繕うために、とにかくブランド品で身を固める人も多くいますが、内面的な成熟がなされないままにそのようなことをしても、品格がある人間にはなれません。
これは自分を磨いているつもりでも、心が未熟ゆえに外見を繕っているだけなんだということを受け入れていない状態なのですが、気づかないうちに内面が未熟な自分を否定してしまうことになるので、やがて自信のある/なしにつながっていきます。
しかし見方を変えれば、そうした自己否定は、自分に対するSOSでもあるのです。
アンバランスに外見だけを磨き始めると、自己否定が生まれてしまうと説明しましたが、実はその自己否定に内心、人は気づくものです。しかし、心の表層的な部分で「(そんな自分を)受け入れたくない」と自ら気持ちにフタをしてしまうのです。
自己否定は自分に対するSOSと説明しましたが、SOSに気づかないフリをしてしまっているのです。自分の中でねじれ現象が起きてしまっていると、最初のうちはいいのですが、長年それを続けていると、自己催眠のような状態に陥ってしまい、心のSOSを見て見ぬフリをして、さらに心が乱れ、〝気づけない心〟を作ってしまうのです。
気づけない心が自分の内にあるんだということを理解し、それを探して見つけ、改めていくことが、内面を磨くことにつながります。
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