SNSの普及が、新たなストレス源になっている――。「世界が尊敬する100人」に選ばれた禅僧・枡野俊明住職はそう指摘します。SNSに振り回されず、穏やかに生きるためには、どうすればよいのでしょうか。そこで、住職の新刊『何を言われても「平気な人」になれる禅思考』(扶桑社)より、繊細な人が傷つかずに暮らすためのエッセンスを連載形式でお届けします。
もしも、炎上してしまったら
皆さんのなかには、SNSをやっていない、あまり詳しくない、という人がいるかもしれません。最初に「炎上」ということについて説明しておくことにしましょう。
インターネットのブログやTwitterで自分が発言したことについて、非難や批判、誹謗中傷が殺到している状態。それが炎上です。
炎上する可能性は誰にでもある。それが現在のSNS環境についてのわたしの認識です。匿名性が担保されることもあって、何をいってもおかまいなし、いいたい放題がまかり通っている、というのがSNSの実情でしょう。
たとえていえば、不特定多数がルールなしに、ノーガードで打ち合う〝バトルフィールド〟ですから、思いもかけず、自分が大勢の標的になってしまったとしても、少しもおかしくはないのです。
そのことは意識して発言する必要があります。
しかも、書き込みは面と向かって話すのとは違って、ニュアンスが伝わりません。同じ発言でもやわらかい口調で話すのと声を荒げて話すのとでは、印象はまったく違ってきますが、書き込みからはそういうニュアンスが汲みとれません。
どう受けとろうと、読む人の自由なのです。
もっといえば、曲解しようが、揚げ足とりをしようが、妙なこじつけをして受けとめようが、こちらはどうすることもできないわけです。
炎上したときの対応は、そのことを前提にして考える必要があります。まず、避けなければいけないのは、弁明、弁解の類いでしょう。これはどんな言葉を使おうと、火に油を注ぐことにしかならない。
非難、中傷する側はそれを待っているフシさえあります。
弁明したが最後、前にもまして、囂々(ごうごう)の非難、辛辣(しんらつ)な中傷が浴びせられるのは間違いないところです。まさしく、〝敵〟の思うツボです。
炎上するということは、自分に含むところはまったくなかったとしても、その発言を快く思わない、腹が立つ、反発しないではいられない、とことんやり込めたい......などと感じている人がいるわけです。先に述べたように、感じるのはその人の〝自由〟ですから、これはとめようがありません。
ここは謝罪をする。
「わたしの発言でお気を悪くされた方には、心からお詫びをいたします」
そんな書き込みだけをしておく。
できることはもうありません。ですから、その後は沈黙に徹しましょう。
「任運自在(にんうんじざい)」
この禅語は、自分の力ではどうにもできない巡り合わせ、すなわち「運」というものがある。その運にはまかせきって、ジタバタしないのがいい、ということをいっています。
どうにもできないこと、どうにもならないことは、「放っておきなさい」とするのが禅です。それをどうにかしよう、と考えるところに悩み、苦しみが生まれる、と禅は教えます。
炎上の標的になったのも、いってみれば運です。そのときできること、やるべきことである謝罪をしたら、後は放っておくしかありませんし、そうするのがいちばんいいのです。
標的があたふたするほど、ジタバタするほど、口撃側は勢いを増します。その相手がいちばん堪(こた)えるのが、〝平然たる沈黙〟なのです。
「こいつ、ちっとも動じないじゃないか。これじゃあ、攻め甲斐がありゃしない」
となる。ほどなく事態は沈静化します。
沈黙は「平気」を示す最強武器
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5つの章にわたって、「繊細な人が傷つかないための41の教え」を掲載。SNSでも実生活でも「何を言われても平気な人」になるためのヒントが満載です。