<この体験記を書いた人>
ペンネーム:コスモス
性別:女
年齢:44
プロフィール:義父の3回忌が終わりました。義父には結婚してからずっとお金の問題で振り回されました。
義父がこの世を去って3年になります。亡くなる半年前に肝臓癌と診断されたときにはもう打つ手は残されていませんでした。
義父は私達が結婚すると報告したときから「ファミリーだから助け合わないといけない」とよく言っていました。
義父は自営業でした。自営を始めた頃はかなり羽振りが良かったようですが、年齢と共に苦しくなり、主人が独身の間はかなり経済的支援をしていたようです。
結婚が決まってから結納、結婚式等いろいろお金のかかることが続きましたが、義両親からの支援はなく、何なら結納金は私が形だけだからと自分で出す始末。
義両親の結婚式の貸衣装もこちら持ちで、私の親にはこの経済事情を話せませんでした。
そして結婚してからは毎月の仕送りです。
まとまったお金が必要になると必ず電話があり、それは決まってボーナスの頃。
ボーナスはほぼ義両親のために使うという状態が数年続きました。
当然、盆や正月など家族が集まるときの支払いもこちら持ちです。
あるお正月におせち料理を注文しておいたら、義母に「うちのお父さん、出来合いのものは食べへんねん」と言われました。
「じゃあ、作ってよ!」と言いたかったのですが、なんとか堪えました。
帰省だけでもお金がかかるのに、その上あれやこれやのお金をこちらで支払わなければならず、働いてもお金は全然貯まりませんでした。
そんな状況のまま2年が経ち、私達も子どもを授かりました。
そのときに、義両親のタバコ、お酒などの嗜好品をもう少し節約してもらうことはできないのかと主人に尋ねましたが、「それくらいはええやん。もうそんなんしか楽しみがないねんから」と言われました。
「やめる」ではなく「減らす」ことすら伝えてもらえないのか...と、腹立たしかったのを覚えています。
まだあります。
主人の実家にいくとビールを出してくれるのですが、私達は発泡酒なのに、義両親はビール。
「なぜ?」という思いを主人に伝えましたが、やっぱり「ええやん」のひと言。
「ファミリーは助け合う」のではないのでしょうか?
そんなときに父の病気が判明。
さらにそれと同時にいろいろな支払いが滞っていることがわかりました。
それはかなり大きな金額。
驚きましたが、ほかにあてもなく、泣く泣く私たちが支払いました。
こんなに支援しているのに、義父からも義母からも直接「ありがとう」と言われたことはありませんでした。
主人からは、「義両親が『悪いな』と言っていた」と聞いたことがありましたが、直接は一度もなし、です。
でも...最後にこんなことがあったのです。
義父が余命幾ばくもないある日、そんなまだ意識があるうちに会っておこうと義父のお見舞いに一人で行きました。
そのとき初めて「今までお金のこと、いろいろ世話かけて悪かったな。ありがとう」と言われました。
その2週間後に義父は息を引き取りました。
そして、この「ありがとう」が義父が私に発した最後の言葉になったのです。
なんだか複雑な気持ちで、今も心の整理がつきません。
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