ものを持たない暮らしを志して早十数年のゆるりまいです。
前回のエピソード:まるでゴミ屋敷!?祖母の認知症に気付いたきっかけは異常な散らかり具合だった
今の家になったきっかけである悲劇
今でこそ、いらないものはなんにもない、殺風景ともいえるガラーンとした家に住んでいますが、元々我が家はモノが溢れている汚家でした。それに加えて祖母の認知症発症もあり(前回の記事をご参照ください)、
「あぁこのまま我が家は汚家のまま終わるのか...」と覚悟に似た諦めを感じていたある日、もう二度と経験したくない悲劇が起こりました。2011年3月11日、東日本大震災です。
モノが凶器になる瞬間
私は今も昔も宮城県仙台市に住んでいるのですが、その当時私は、勤めていた会社を辞め、再就職先の初勤務日までつかの間の春休みを謳歌していました。結婚も控えていたので、新居を決めたり家具を選んだりと新生活に胸をときめかせていました。
しかし、そんな矢先に起こった大災害。
ものがたくさん溢れている汚家の中で経験したマグニチュード9.0は、生まれて初めて「死ぬかもしれない」と思ったほどでした。家がありえない動きでグワングワンと揺れ、ものがガンガンと自分をめがけて降ってきました。
ちょっと前まで、ただのモノだった物体が、凶器と化した瞬間でした。
このままでは家が倒壊する恐れがあったので、それをかき分けて祖母の元に行き、無理やり祖母を家の外へ連れ出しました。
ただでさえ家の中は散らかっていたのに、揺れのせいでますます家の中はモノが散乱し、玄関までの経路を塞ぎました。
足腰の弱っている祖母を連れていたので、非常に焦ったことを、今でも鮮明に覚えています。
必要なモノが探し出せない苛立ち
揺れが収まり、近くの避難所に行くことにしたのですが、汚家だったせいでスムーズに避難することができませんでした。
まず、飼っていた猫がパニックを起こし、散乱するモノの中に隠れて出てこられなくなり見つけるまでに結構な時間を費やしました。貴重品はすぐ見つけられたものの、仏壇から転がり落ちたお位牌はどうでもいいモノに紛れて見つからないし、懐中電灯もラジオも乾電池もカセットコンロも絶対あるはずなのに、日頃から置き場所を決めておかなかったせいでどこにあるのか見当すらつかず。非常食になりうる食材は、きちんと管理していなかったせいで消費期限が切れたものばかり。
こんなにも家の中にモノはあるのに、緊急事態の時に生きていく上で必要なモノはほとんどない(もしくは見つからない)という状況に、強い憤りと後悔と、そして恐怖を感じました。「家は命を守るものでなくてはいけない」そう固く決意するのに十分な出来事でした。
大震災の教訓
そしてそう感じたのは、私だけじゃありませんでした。母や祖母も「汚家は危険」と考えを改めてくれたのです。これは非常に大きな変化でした。
それまで片付けやものを捨てることに関して拒否反応しか示さなかった祖母が、震災後少しずつ協力的になってくれたのです。
認知症ではあったので、ところどころ震災があったことは忘れてしまうことはあったのですが、それでもやはりあの日経験した恐怖は心にこびりついていたようで、自然と片付けが命を守るということを実感していたのかもしれません。
それが今の我が家になる大きな一歩でした。《次回に続きます》
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