定年後に母の介護をしながらパソコンを始め、2016年からはアプリの開発を開始。17年に米国アップルによる世界開発者会議「WWDC 2017」に特別招待され、現在、岸田首相主催のデジタル田園都市国家構想実現会議構成員としても活躍中の若宮正子さんに「相続」についてお話を聞きました。
この記事は月刊誌『毎日が発見』2024年1月号に掲載の情報です。
相続は妥協せず、心のままに、
計画的に進めること。
最後のわがままを貫きましょう。
空襲で家が丸焼けになってゼロからスタートした世代は、ものを大切にする傾向があるようです。
私の友人に、きれいな包装紙やパッケージなどが捨てられないという人がいます。
そんな彼女のことを息子は、「貧困妄想」とのたもうたそうですが、日本人の「もったいない精神」は、美しい心のあり様として世界に広く知られています。
さらに言えば、SDGs(※)に注目が集まる今、「貧困妄想」という発想こそが、時代錯誤だと感じます。
個人的には、相変わらずものをどんどん生産している世の中の、どこがSDGsなのかと思うのですが、生産性が低下すると経済が回らなくなる。
つまり、SDGsと資本主義は端から相性が悪いのです。
こうした矛盾のなかを納得して生き抜くために必要なのは、自分の考えをしっかりと備えることだと思います。
相続問題にしても、大切にしているものを誰に譲るかは、自分の心と相談して決めればいいのです。
ただし、相手にとってはありがた迷惑ということもあります。
自分が生きているうちに、「これ欲しい?」と、単刀直入に訊いてみてはいかがでしょうか。
美術品や宝石などは専門業者に買い取ってもらうのも一案です。
欲しいという人に使ってもらえたら、ものも喜びます。
安く手放すことになるとはいえ、旅行やちょっと贅沢な食事など人生を楽しむための資金になるかもしれません。
売り方が分からないなら若い人に手伝ってもらって、売り上げの一部をお駄賃として渡せば、持ちつ持たれつです。
お金や土地などに関して「子どもから法的な手続きをして欲しいと急かされ、どうしたものか」と戸惑っている人もいるようですが、遺すほうが脅かされるというのは妙な話です。
そもそも親の財産を当たり前のようにアテにするというのはいかがなものでしょうか。
財産は自分で使い切ってしまうのが一番だという気がします。
下手に遺せば骨肉の争いのもとになるかもしれません。
とはいえ、子孫に何某(なにがし)か遺してやりたい、そのために頑張って生きてきたという人もいることでしょう。
そうであるなら、あと回しにせず、頭がクリアなうちに法的な手続きをしておくべきだと思います。
もしも「遺すものを遺さないと介護してもらえない」などと不安を抱いているのなら、駆け引きが必要な家族などアテにせず、さっさと施設へ入所して、他人様のお世話になるのが得策なのではないでしょうか。
家族のいない私は、おそらく施設に入ることになるでしょう。
ただし、それは最後の手段。
できるだけ長く自分の家で自立して暮らしていたいと思っています。
そして、いよいよ限界が近づいているなと感じたら、自分で施設を探すつもりです。
一口に施設といってもピンからキリまでありますが、ヨレヨレになって入る施設がラグジュアリーな空間である必要はないと思っています。
玄関がコロニアル調であろうと、立派な庭園があろうと、寝たきりになっていたら関係ないじゃありませんか。
といって、豪華な施設に入りたいと考えるのも自由なのですが、いずれにしても自分の財産は自分が最後の時を快適に暮らすためにこそ使うべきだと思います。
どうすれば余生をスッキリと生きられるのだろう?と考えることは、老後の最大のテーマです。
妥協は禁物。
自分はどうするのかを決めた上で、相続するもしないも、誰に何を残すのかも心のままに。
たとえ家族の理解を得ることができなくても、我が人生最後のわがままなのだからと、思いっきり自己中でいいのです。
※地球環境などを考慮して持続可能な世界を目指す取り組み
構成/丸山あかね イラスト/樋口たつ乃