定年後に母の介護をしながらパソコンを始め、2016年からはアプリの開発を開始。17年に米国アップルによる世界開発者会議「WWDC 2017」に特別招待され、現在、岸田首相主催のデジタル田園都市国家構想実現会議構成員としても活躍中の若宮正子さんにお話を聞きました。
この記事は月刊誌『毎日が発見』2023年9月号に掲載の情報です。
できる限り、まっとうに生きる。
その先は堂々と、
人のお世話になりましょう。
私はおひとり様なので一人暮らしですが、知り合いの中には「子どもが同居しようと誘ってくれるのだけれど、誰の世話にもなりたくないから」と言う人もいます。
立派な心がけだと思いつつ、さらに心理を深く探ってみると、「干渉されたくない」という気持ちも潜んでいる様子。
自由であることは人間の尊厳にかかわる大きなテーマですから、「自由」と「孤独」を天秤にかけて、孤独であっても自由を選ぶ、という人がいても不思議ではありません。
家族の「一人でのお出かけは心配だわ」といった意見は、親切心だと分かってはいても、私なら強制されることに抵抗を覚えます。
第一、できないことが増えたからといって、まだできることまで奪われてしまうのは納得がいきません。
ちょっと物忘れをしただけで、まるで認知症のような扱いをされるなんて、心外を超えて侮辱だと声を大にして言いたい。
とはいえ、誰の世話にもならずに生涯を終える人はいません。
どんな大人だってミルクを与えてくれた人がいるからいまがあるのです。
死んだ後に自分で火葬場へ行って骨壺に納まった人の話も、聞いたことがない。
あったらホラーです。
毎日の暮らしの中でも、例えば、野菜は農家の人が育て、テレビは工場で働く人が組み立ててくれています。
一人で生きているつもりでも、この世は助け合い運動で成り立っているのです。
つまり「誰の世話にもならずに生きていきたい」は、理想論であって現実的ではない。
このことを認めなければ、やがて自立できなくなったときに自分を責めてしまうのではないでしょうか。
心穏やかに暮らすには、誰の人生にもお世話になる機会もあれば、お世話をする機会もある。
そこはお互い様なのだと考えて、割り切ることが大切だと思います。
その上で、介護が必要になるまでの時間を延ばすための算段をするのが得策です。
私が提案するのはテクノロジーの進化の波に乗ること。
テクノロジーなんていうと、難解に感じる人がいるかもしれませんが、テレビやエアコンのリモコンもテクノロジーの進化によって生まれた小型ロボットです。
指先での細かな作業がしづらくなってきたという方にとっては、パソコンやスマホは扱いづらいロボットかもしれません。
でもAI(※1)搭載のスマートスピーカーなら音声に反応して働いてくれます。
家族に頼らなくても「電気を消して」「タクシーを呼んで」「トイレットペーパーを注文して」と呼びかけるだけでよいのです。
日本では若者に人気のアップルウォッチも、欧米では多くの高齢者が使っています。
私も愛用していますが、例えば「心肺機能レベルの通知」「不規則な心拍の通知機能」などアプリ(※2)を設定することによって、健康面の自己管理をすることができます。
それから着用者が転倒したことを察知して緊急通報してくれる「転倒検出機能」や、薬の飲み忘れを防ぐ「服薬機能」もあります。
もちろん最新の機器を駆使しても、いつかは一人暮らしの限界を迎えるでしょう。
私はそのときが来たら、周囲の人や介護のプロなど人様のお世話になると決めています。
この世はお互い様。
そうである以上、堂々と国のお世話にもなればいいと思います。
次世代の人に遠慮することもないと思うのです。
ただし、「人は生きたように死ぬ」といいます。
死を迎えるときは、社会の中ですべきことを果たしてきたかどうかが問われるということです。
逆説的に考えれば、まっとうに生きていれば、心丈夫でいられるということ。
そうして「なるようになる」と考えて気楽に生きていけたら、それが一番なのではないでしょうか。
※1 人が実現するさまざまな知覚や知性を人工的に再現する知能のこと
※2 特定の作業をするためのソフトウエア
イラスト/樋口たつ乃