定年後に母の介護をしながらパソコンを始め、2016年からはアプリの開発を開始。17年に米国アップルによる世界開発者会議「WWDC 2017」に特別招待され、現在、岸田首相主催のデジタル田園都市国家構想実現会議構成員としても活躍中の若宮正子さんに「家族との付き合い方」についてお話を聞きました。
この記事は月刊誌『毎日が発見』2023年12月号に掲載の情報です。
家族だって、それぞれ違う。
期待せず、相性が悪ければ
距離を置きましょう。
少し前に不慮の事故に遭って、腕に全治2週間の怪我を負いました。
友達からは「あなたは怪我や病気で倒れるなんて許されないのだから、よく弁(わきま)えなさい」と叱咤激励されたのですが、事故ばかりは避けられません。
とはいえ不幸中の幸いで、これが頭でも打っていたら大変でした。
やはり私はついている!と思ってしまうあたり、我ながらおめでたい。
しかも予定通り完治したので、すごい治癒力だ、私もまだまだ捨てたものじゃないと悦に入ったりして。
検査の結果、骨密度が高いことも判明し、それは本当にうれしかったのです。
それにしても、片手が使えないというのは不便なものですね。
こんなとき、家族がいれば......とチラッと思いましたが、スーパーへ行けばおいしいお弁当が売っているので、食べることには困りませんでした。
シャワーを浴びる程度なら、包帯の上からピタッとしたゴム手袋をすれば完璧。
洗髪できない時期はありましたが、よくしたもので私の住まいの隣が美容院なのです。
なんとかなるものだなぁと思ったら、やっぱり一人暮らしが気楽でいいというところに落ち着きました。
もっとも家族がいたらアテにしていたに違いありません。
でも私には頼る家族はいないのですから、一人で乗り越えるのが当たり前。
そこに煩わしさは1ミリもないという風通しのよさが、おひとり様の強みです。
物事には、なんでもメリットとデメリットがあります。
与えられた環境のメリットを見つめて生きていかなくては損なのです。
家族のいる人は、家族がいることのメリットを数えて生きれば幸せだろうと思います。
ところが、家族と暮らしているという知り合いの多くが愚痴るのです。
「主人はゴミ捨てのひとつもしてくれない」とか、「同居している息子夫婦は外食へ行くのに誘ってもくれない」とか。
分からなくもないのですが、なかには「家族なのに、私の誕生日も覚えてないの」などと訴える人もいて、ここまでくると、ちょっと家族に期待し過ぎなのではないかなという気もしてきます。
期待と落胆はセットと相場が決まっているのです。
もしも家族に不満を募らせながら「家族なのだから、言わずとも私の気持ちを理解してくれるはずだ」と思っている人がいたとしたら、それは自分勝手な妄想だといえるでしょう。
たとえ長年連れ添った夫であろうと、血を分けた子どもであろうと、それぞれ価値観が違います。
例えば、私は母の教育に関する価値観に違和感を抱いていました。
でも、考えてみれば育った時代も家庭環境も違うのですから仕方がありません。
自分が母の年になって初めて分かる親心というものもあります。
このことから、子ども世代の人に年配者の気持ちを理解して欲しいと望んでも無理だというのが持論です。
家族との関係は、相性もあると思います。
私には兄が二人いますが、既に他界した長兄は母寄りの考え方で、あまり話が合いませんでした。
一方、すぐ上の兄とは気が合って、今も仲良くしています。
息子の配偶者と折り合いが悪いと言う人も目立ちますが、相性がよろしくないと感じるのなら、距離を保つことをおすすめします。
私は長兄のことも嫌いではありませんでしたが、それは距離感の賜物だったと確信しているのです。
もちろん、家族とは仲良くするに越したことはないけれど、濃厚な付き合いをするのがいいとは限りません。
むしろ快適な関係性を構築するためには、家族なのだからと期待しない、家族であっても干渉せずに淡々と付き合うといった具合に、「親しき中にも礼儀あり」を心がけることが得策なのではないでしょうか。
構成/丸山あかね イラスト/樋口たつ乃