歩くことは健康づくりの第一歩。効果的な歩き方をすれば、何歳からでも体力や筋力をつけて若々しさを保つことができ、生活習慣病の予防・改善につながります。心と体を整えて、自分が豊かになる! そんな歩き方の極意を、曹洞宗徳雄山建功寺住職の枡野俊明さんに伺いました。
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動中工夫勝静中百千億倍
(どうちゅうくふうはじょうちゅうにまさることひゃくせんおくばい)
禅の修行は「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」。
行く、住まう、坐る、寝ると、日常の立ち居振る舞い全てが心を育てる修行とされる。
掃除などの作務(さむ)もあれば坐禅もあるが、「動きながらも心を静かに保つことは、静かにしながら心を静かに保つより百千億倍の価値がある」という白隠禅師(はくいんぜんじ)。
※江戸中期の臨済宗の禅僧。禅画を多く描いた)の言葉。
日々新又日新
(ひびにあらたにしてまたひにあらたなり)
時は刻々と移ろい、自分自身も移ろっていく。
まさしく世は、諸行無常。昨日と同じ自分はいない。
だからこそ、日々生まれ変わりながら、常に新しい気持ちで生きていくことが大切である。変化をマイナスと捉えるのではなく、プラスと捉え変化を楽しむことができれば、年を重ねることも楽しく、人生も楽しくなる。
頭上漫々脚下漫々
(ずじょうまんまんきゃっかまんまん)
日は昇り、日は沈み、春夏秋冬、時の流れに従って花は咲き、鳥は鳴く。頭上にも足元にも世の中の真理は現れている。
人間は自分が世界の中心だと考えがちだが、世の真理は変えられない。
それに気付けば、私たちは悩むことなく心豊かに生きられるという教え。
行雲流水
(こううんりゅうすい)
風に運ばれる雲のように、流れる水のように生きていても、世の真理に身を委ねているなら、不安などない。
禅の修行僧を「雲水」と呼ぶのもここから。
無心で何の執着もなければ、雲や水のように、どんな形にも変化し、自在に生きることができる。
取材・文/丸山佳子 撮影/齋藤ジン