【哲学者・岸見一郎さん】「この人生は初めて生きるのだから、不安になって当然」

人生に慣れてはいけない

そうであれば、何が起きるかわからないものとして、この人生を生きていくしかない。三木清(※)が次のようにいっている。

「世なれた利口な人達は親切そうに私に度々云ってくれた、『君はトロイメルだ。その夢は必ず絶望に於いて破れるものだから、もっと現実的になり給え。』」(『語られざる哲学』)

トロイメルとは「夢見る人」という意味である。「世なれた利口な人達」は人生のことが何でもわかっているかのようだ。彼らは「本当に自分自身に生きようとする人、生命の源に立ち返って人生を味わおうとする人、真実の要求に従って生活しようとする人が悩み、悲しみ、夢みつつある」(前掲書)のを見ても、合点ができないといわんばかりの顔をして大人振った口の利き方をしながらいう。

「君達はまだ人生を知らないのだ。現実がどんなものだか分っていないのだ」

しかし、「夢見る人」、理想主義者であるのをやめてしまった人が、理想主義を貫いて生きたら必ず絶望することになるかわかるはずはない。もう何度も生きてきたかのような口調で現実的になれという彼らこそ、現実がわかっていないのではないか。

トロイメルは絶望しない。しかし、悩みもし、悲しみもする。人生で経験することを常に理想と引き比べ、これでいいのかと絶えず立ち止まって考えるからである。

三木は『語られざる哲学』の中で、ゲーテの『ファウスト』から引用している。

Es irrt der Mensch solang er strebt.

「人間は努力している限り、悩むものだ」

世慣れた人は努力しない。だから悩むこともない。他方、夢見る人はいつも人生を初めて生きる。だから、悩みもするが、悩むことは努力していること、真剣に生きていることの証左である。

柳美里(ゆうみり)の『JR上野駅公園口』では、男が次のように語っている。

「どんな仕事にだって慣れることができたが、人生にだけは慣れることができなかった。人生の苦しみにも、悲しみにも......喜びにも......」

むしろ、慣れてはいけないのである。この人生を初めて生きるというのは、何事も初めて経験するという意味ではない。人生で経験するどんなことにも初めて経験するように向き合うということである。

人生で同じことは起こらない。苦しみも悲しみも、そして喜びも、経験するその時々で決して同じではない。そう思えればこそ、経験に新たな意味を見出すことができ、そうすることで成長できるのである。

※哲学者(1897〜1945年)。『人生論ノート』は発表から80年を超えて読み継がれている。
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岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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