【哲学者・岸見一郎さん】「この人生は初めて生きるのだから、不安になって当然」

月刊誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「この人生は初めてだから」です。

この記事は月刊誌『毎日が発見』2023年12月号に掲載の情報です。

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人生を初めて生きる

『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(ファン・ボルム)という小説を最近読んだ。ソウルにある小さな書店に集う人たちの交流の物語である。

この書店である日トークイベントが開かれた。書店でバリスタとして働いているミンジュンは、イベント前に上映された映画を見て、そこに登場する小説家があんなにも生きることに不器用なのは、彼にとって初めての人生だからだろうと考えた。

さらに、自分自身の人生を顧みて、「今のこの人生も、自分には初めてであることに気づいた」。この人生は初めてであるという当たり前のことに気づいたミンジュンは軽い戦慄を覚える。

「初めて生きる人生なので、あんなにも悩むしかなかったのだ。初めて生きる人生なので、不安になって当然なのだ」

初めて生きる人生なので、何をするのもぎこちなく不器用で失敗ばかりする。苦しみ悩み不安にもなる。しかし、ミンジュンは、その上、この人生がどのように終わるかわからなくても、それどころか、五分後にどんなことに出くわすかもわからなくても、この人生を大切に思えるという。なぜそのように思えるのだろうか。

何をするのも初めてであれば、この人生を自分より先に生きた人の人生を知りたいと思う人はいるだろう。きょうだい関係についていえば、兄や姉は何をするのも初めてなので、要領が悪く失敗もする。弟や妹は兄や姉が首尾よくやり遂げたことがあれば、その方法を真似るが、失敗は真似ない。いわばペースメーカーである兄や姉の後ろを要領よく器用に生きる。そして、兄や姉が力を落としたところを見計らって一気に追い抜く。

人生を初めて生きるというのは、この兄や姉のようである。しかし、その弟も妹もこの人生を生きるのは初めてなのである。何も知らないでいたら、したかもしれない失敗を、ある程度回避することしかできない。

人生をリプレイできない

『リプレイ』(ケン・グリムウッド)という小説がある。主人公のジェフは四十三歳で死ぬ。しかし、気がつくと学生寮にいて、十八歳の春に戻ってしまう。記憶と知識はなくなっていない。再び人生がその時点から始まるが、二度目の人生では何が起こるかをジェフはすべて知っている。そしてまた四十三歳になると死に、また十八歳に戻る。

二度目以降の人生においては、ジェフは株も競馬も思いのままに大金を得ることができる。しかし、いつ誰と出会うかもわかっている。恋する相手であれば、その恋がどのように進展するかまで知っているのである。

はたして、そのような何が起きるかがすべてわかっているような人生を生きたいと思うだろうか。人生を「リプレイ」できれば、次の人生は失敗しないで万事うまくいくかもしれないが、何が起きるかわかっているような人生はつまらない。

実は、この小説では、ジェフの二回目以降の人生は前の人生と同じにはならない。ほんの少しのことだが前の人生とは違うことをするからである。前世で失敗したことがわかっているのに、同じ失敗をして人生が好転するかもしれないチャンスをあえて逃したりはしないだろう。

実際問題として、ジェフのように人生をやり直すことはできない。先に何が待ち受けているか、ほんの少し先のことであってもわからないので、失敗し、そのことで苦しみ悩むのは当然なのである。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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