哲学者・岸見一郎さんが語る「やりたいことを見つける」

月刊誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「やりたいことを見つける」です。

この記事は月刊誌『毎日が発見』2023年7月号に掲載の情報です。

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やりたいことがない

若い頃、将来何をしたいかがわかっていて、何の迷いもなく勉強などに励めたという人もいるだろうが、他方、親から「やりたいことはないのか」と心配されるほど、特に何かしたいことがなかったという人もいるかもしれない。働き始めてからも、今自分がしていることがはたして自分がやりたいことなのかどうか確信を持てないという人もいるかもしれない。

多和田葉子(※1)の小説で、登場人物の一人が次のように語っている。

「自分は何者なのか、という問いに答えるのは難しいけれど、自分のやりたいことが見つかれば、人生の答えが出たみたいな気になる。やりたいことが分からない人間は、とんでもない道に迷い込んでしまうんじゃないかって周りも心配したりして、親とか友達とかに若い頃、お前のやりたいことは何なんだ、とか訊かれたこと、あるんじゃないですか?」(多和田葉子『地球にちりばめられて』)

親や友達はやりたいことが何かわからないと心配するということだが、やりたいことがわからず動かなければ「とんでもない道」に踏み込むことはないと思うのだが、実際には何をやりたいかがわからないまま動いてしまうので、「とんでもない道」に迷い込むのではないかとまわりは心配なのである。

なぜ動いてしまうのか。やりたいことが今はわからなくても、じっとしていてはいけない、そのうちやりたいことがわかるというようなことをまわりからいわれるからである。

例えば、やりたいことがはっきりしていなければ偏差値を調べて受験し合格した学校に入学し卒業する。卒業後も、特に何かをやりたいことがなければ、受かった会社で働くことになるが、仕事をしていても、これが本当にやりたいことなのかわからないまま、あるいは、そのような問いを封印してしまう。

※1 小説家、詩人(1960年〜)。ドイツに住み、日本語とドイツ語で作品を発表している。

目標の設定

何か行動を起こそうとする時には、「目標」を設定し、それに向かっていく。「やりたいこと」が目標である。アドラー(※2)は次のように説明する。

「目標を設定しなければ、考えることも、感じることも、行為することもできない。この目標設定は、どんな動きにおいても避けることはできない。一本の線を引く時、目標を目にしていなければ、最後まで線を引くことはできない。欲求があるだけでは、どんな線も引くことはできない。即ち、目標を設定する前は何をすることもできないのであり、先をあらかじめ見通して初めて、道を進んでいくことができるのである」(『教育困難な子どもたち』)

目標を設定しなければ、いかなる「動き」も起きないとアドラーはいうのである。どこまで線を引くかという目標が見えていなければ、線を引き始めることはできるが、「最後まで」線を引けない。

この線を引くという行為は、線を引き終えるまでは未完了で不完全である。線を引くという行為の目標は「外」にある。線を引くこと自体は目標ではなく、線を引き終わって初めて目標は達成される。

アリストテレスは、このような始点と終点のある動きを「キーネーシス」と呼んでいるが、このような動きにおいては、「なしつつある」ことではなく、何をどれだけの時間で「なしてしまった」かが重要である。例えば、電車で移動する時、どこに行くかという目標(目的地)をはっきりさせ、そこに効率的に早く到達しなければならない。到達できなければその動きは不完全である。

※2 アルフレッド・アドラー(1870〜1937年)。オーストリアの精神科医、心理学者。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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