哲学者・岸見一郎さんが語る「老後の準備のために今生きる楽しみを犠牲にしない生き方」

定期誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「今を生きる」です。

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過去も未来も忘れる

湯本香樹実(※1)の『岸辺の旅』は、長らく失踪していた夫がある夜三年ぶりにふいに帰ってきたところから始まる。既に死んでいる夫は自分の死後、妻のもとに帰ってくるまでの軌跡をたどるために、妻と共に旅に出る。

旅に出た二人は、やがてこのままずっと旅をし続けることができるのではないか、ずっとどこかで住むこともできるのではないかと思うようになる。

「だんだん、そんなことも不可能でないような気がしてくる。忘れてしまえばいいのだ、一度死んだことも、いつか死ぬことも。何もかも忘れて、今日を今日一日のためだけに使いきる。そういう毎日を続けてゆくのだ、ふたりで」(湯本香樹実『岸辺の旅』)

しかし、このような決心を生きていくためには、夫がこの世の人ではないという事実に目を塞がなければならない。夫が失踪したことの原因は一体何だったのか、失踪を止められなかったのか、自分たちは愛し合っていたのかなど、過去の結婚生活のことを考えないわけにはいかないが、現に夫は今目の前にいるのなら、過去は不問にするしかない。夫はまたいなくなるかもしれないが、いつかわからないその時のことを今考えなくていい。

過去は過ぎ去りもはや存在しない、未来もまだきていないというより端的に存在しないと思えれば、過去を思って後悔したり、未来を思って不安になったりはしないだろう。しかし、この小説のような現実にはありえないケースでなくても、「今日を今日という一日のためだけに使いきる」ことは難しい。一体、そのような生き方はできるのだろうか。

※1 小説家、脚本家。1959 年生まれ。

後悔と不安には目的がある

過去に経験したことをまったく思い出さないことはない。過去はもはや過ぎ去り、存在しないが、過去の記憶はある。過去自体ではなく、この過去の記憶に囚われるので今を生きるのが難しいと思うのである。

その過去は誰にとっても同じ客観的なものとしては存在しない。同じ家で生まれ育った子どもたちでも、大人になって思い出す過去は違う。自分の中でも、過去の記憶は変わる。

なぜ同じはずの過去の経験を違ったふうに記憶しているのか。自分の記憶が変わるのか。それは「今」が変わるからだ。

何か新しい課題に取り組む時、困難であっても成し遂げることができると思っている人は、過去に経験したことの中から、望む結果を得られた経験を思い出して、課題に取り組む勇気を奮い起こす。

反対に、自信のない人は、頑張っても甲斐はないと思うために、過去の失敗した経験を思い出し、課題に挑戦しないでおこうと決心する。

未来についても同じことがいえる。未来はまだ来ていないというよりは「ない」。何が起きるかは決まっていない。それにもかかわらず、悪いことが起きると思う人は、課題に積極的に取り組もうとはしないだろう。そのように思う人は、未来を過去からの延長としか見ていないので、過去の失敗、敗北が繰り返されると思うのである。

反対に、何が起きるかわからなくても、あるいはむしろ何が起きるかがわからないからこそ期待感を持って未来を待ち受け、直面する課題にも怯むことなく取り組める人はいる。

過去や未来に囚われ後悔したり不安になったりするので今を生きられないのではない。「今ここ」を生きないために、後悔し不安になるのである。

今は仮の人生ではない

過去や未来に囚われないで今を生きるためには、まず、何かが実現したら本当の人生が始まると考えないことが必要である。

今の人生を未来のために犠牲にしなくていい。犠牲にしないまでも、今は未来のための準備期間や仮の人生ではない。受験や、資格を取るために勉強しなければならないことはあるが、今しかできないこと、今しなければならないことをすべて投げ打ってまでしないといけないことなのかはよく考えなければならない。

老後の準備をすることは必要だが、死ぬ日のことばかり考えて今生きる楽しみをふいにしなくてもいい。

今は仮の人生だと思って未来のために生きていたら、本当の人生はこないかもしれない。

結果が出るのを恐れない

次に、結果が出ることを恐れてはいけない。何かを決めれば必ず結果が出る。結果が出ることを恐れる人は何もしないか、もしくは、望む結果を必ず出せることが明らかな時だけ挑戦する。

アドラー(※2)は、そのような人は人生の課題を前にして「敗北」を恐れるので、「足踏みしたい」「時間を止めたい」と思うといっている(『人はなぜ神経症になるのか』)。試験で悪い成績を取るくらいなら、初めから受けないでおこうというようなことである。しかし、試験なら受けないという選択肢はあるが、人生の時間を止めることはできない。

悪いことが必ず起きるとは限らないので、果敢に挑戦するしかない。不安は課題に挑戦しないために創り出される感情である。

とはいえ、望む結果を得られないことはある。しかし、それは「敗北」ではなく、ただの「失敗」である。失敗したら、やり直せばいいだけである。

※2 アルフレッド・アドラー(1870〜1937年)。オーストリアの精神科医、心理学者。

自分で決める

今一度『岸辺の旅』の話を引くと、妻は過去に何があったとしても、これからどうなるとしても、夫と「今」どう生きていくかを決めることができる。決心に過去も未来も関係がない。

この「今」がいつまで続くかは問題にならない。明日、大喧嘩をして別れることになるかもしれない。そうであれば、なおさら「今」関係をよくする努力をするしかない。

「今日を今日一日のためだけに使いきる。そういう毎日を続けてゆくのだ、ふたりで」(前掲書)

なぜ、今を生きる決心をするのか。仲良く生きるためである。その決心を日々更新すれば、気がつけばずいぶん遠くまで歩んできたと思える日がくるかもしれないが、大事なのは「今日一日」をどう過ごすかである。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2023年6月号に掲載の情報です。

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