哲学者・岸見一郎さんが語る「人生の筋書きは決まっていない」

月刊誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「何も決まっていない人生」です。

この記事は月刊誌『毎日が発見』2023年10月号に掲載の情報です。

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ドラマと人生は違う

子どもの頃少しだけ見た記憶があるドラマのことを調べていたら、そのドラマはなかなか話が進まないので評判がよくなかったという記事を読んだ。毎朝、見るドラマであれば、話が進まないとつまらないと思う人が多いのかもしれない。

ドラマにはストーリー、筋書きがあって、その筋書きは脚本家が創っているが、はたして、人生にも筋書きはあるのだろうか。

人生ではドラマティックなことはそうそう起こらない。哲学者の西田幾多郎はこういっている。

「回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後ろにして立った。黒板に向かって一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである」(「或教授の退職の辞」『続思索と体験』所収)

しかし、「簡単」な人生を送ろうと思ってもそうはならない。事実、西田の生涯は決して「簡単」なものではなかった。

「わが心深き底あり喜(よろこび)も憂(うれひ)の波もとゞかじと思ふ」

西田がこの歌を詠んだのは、五十三歳の時。既に次女と五女を亡くしており、数年前に妻が脳梗塞で倒れ(二年後死去)、長男も病気で亡くしている。誰の人生にも不条理としか思えないことが起きる。西田のように子どもの早世はもとより、高齢の親の死でも受け入れるのは難しい。天災や事故に遭うこともある。

ドラマであれば短い時間に大きな出来事が起こるので、本当の人生はドラマのようにドラマティックではないように見えるが、人生を早回しで回顧したら、大きな出来事に焦点が当たり、ドラマティックに見えるかもしれない。

結末を知らないでドラマを見ている時には先に何が起こるか知らないが、最後まで見て結末を見終わってからもう一度ドラマを見れば、登場人物の運命を知って見ることになる。

ソポクレス(※1)の『オイディプス王』の読者の多くは、この王の運命を知って、この悲劇を読む。オイディプスはテバイにふりかかった災いの原因を探すべく、父親殺しの下手人を見つけ出そうとするが、自らの辿った人生を振り返ると、思いがけず自分が父を殺し母を妻としていたことを次第次第に知っていく。

おのれの忌まわしい過去を知り、自ら短剣で目を突き盲目となったオイディプス王は、実の息子たちによって故国を追われ、老いた身で他国を放浪することになった。

自分の運命を知らないで振る舞っているオイディプスが破滅に向かっていくのを読むと怖い。しかし、誰もが自分の人生がこれから先どうなるか知らないで生きているのは、オイディプスと同じである。ただし、人生のドラマを書いた人はいない。

※1 古代ギリシアの詩人。紀元前5世紀のアテナイで、数多くの戯曲を制作した。

神の書いたシナリオ

神が人生の筋書きを書くと考える人はいる。例えば、ストア派のエピクテトス(※2)は次のようにいっている。

「覚えておけ。お前は劇作家が望むような俳優だ。劇作家が短いものを望めば、短い劇の、長いものを望めば長い劇の俳優になる。もしも物乞いを演じることを望めば、うまく演じるように。足の不自由な人でも、官吏でも、民間人でも同じだ。与えられた役を立派に演じるのが、お前の仕事である。どの役を選ぶかは、他の人の仕事だからだ」(エピクテトス『要録』)

エピクテトスから強い影響を受けたマルクス・アウレリウス(※3)は次のようにいっている。

「神々のことは摂理で満ちている。偶然のことも、自然なしには、つまり、摂理が支配する事物から紡がれ編み上げられたものなしには生じない」(『自省録』)

「摂理」は神が書いたシナリオである。人間には偶然に見えても、すべては神が書いたシナリオ通りに進行する。摂理のことをアウレリウスは運命とも言い換えている。さらに、次のようにいう。

「起こることは、すべて正しく起こる」(前掲書)

この世界で起きることも神の摂理の下でのことである、つまり、神が筋書きを書いているのだから、起きることはすべて決定されており、しかも正しい。自分の人生だけでなく、この世界に理不尽な出来事は起きず、悪も存在しないはずである。たとえ、そのようなことが起きたとしても、神の計らいである。

しかし、そのように考えられないとしたら、人生や世界の筋書きは決まっていないからである。

※2 古代ギリシアの哲学者。生没年は50年ごろ〜135年ごろ。
※3 第16代ローマ皇帝。121年〜180年。著作に『自省録』がある。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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