「良い妻、良き母」もう、やめません? 50歳からの人生「こだわりを手放す」ススメ

50代になると頭によぎる「終わり」の迎え方。人生の後半について、作詞家で作家の吉元由美さんは、「これからがクライマックス」と言います。今回は、著書『エレガントな終活』(大和書房)から、吉元さんが考える「50歳からの女性の生き方」のエッセンスをお届け。これからの人生が幸せになるヒントが散りばめられています。

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「こだわり」は自分を縛る枠

六十歳近くまで生きてきて、若い頃の自分が抱えていた思い込みや執着から少しずつでも自由になれていたらいいなと思います。

それでも、自分の心や行動をスキャンしてみると、まだ何とたくさんの執着を持っているか......と悲しくなります。

行動も思考回路も、執着によって成り立っていると言っても過言ではありません。

ここでは、ひとつひとつ、「執着」の事例をあげながらお話ししていきます。

まず、「こだわり」について考えてみましょう。

こだわりを持つことがかっこいい。

こだわりの一枚。

こだわりの一品。

こだわりを多く持つことが、価値観や美意識の高さを表す風潮があります。

しかし「こだわり」の本来の意味からすると、まず言葉の使い方が違っていることがわかります。

「こだわる」「拘る」とは、心が何かに囚われて、自由に考えることができなくなること。

気にしなくてもいいことを気にすること。

美しいどころか、まったく反対、まさに執着そのものを表している言葉なのです。

もともとは価値観の多様化から生まれた使い方かもしれませんが、言葉にはそのエネルギーが宿っていますから、「こだわり」という言葉を多用し、こだわる意識を持っていると、心から自由が奪われてしまいます。

例えば、こだわりが強いと他人にも自分のこだわりを押し付けたくなります。

自分が理想とする完璧を求めて、家庭の中で、会社の中でこれを通されたら周囲はたまりません。

求める側も求められる側もきついのが「こだわり」です。

親に求めるもの、夫、パートナーに求めるもの、子どもに求めるもの。

こだわりは、ときとして相手へのコントロール願望に置き換わる。

しかし自分の思う通りに人が動いてくれることは稀です。

こだわりを持って相手をコントロールしようとすることはストレスを生むのです。

コントロールされるほうも拒むか、期待に応えようとします。

うまくいかなければお互いのストレスになる。

人生後半の豊かであるべき時間を「こだわりゲーム」に無駄遣いしてしまっていないか、検証する必要がありそうです。

「~あるべき」「~らしく」という荷物は下ろしてもいい

こだわりとは「枠」です。

私たちは無意識のうちに心の中に枠を作り、その中に収まろうとしがちです。

それは、枠があったほうが「ラク」だから。

その中で安心して役割なり、役目なりを演じているほうが、不自由でも不安や心配が少なく感じられるからです。

それでも、役割、役目だけで動いていると、やがて苦しくなります。

なぜなら、それは社会に見せる「顔」であり、「建前」である場合が多いからです。

初めは役割を果たす甲斐があったかもしれません。

しかし、役割、役目という意識はいつしか本来の自分からは逸(そ)れて、生きづらさにつながることがあります。

期待に応えようとすればするほど、本音から離れていく。

役割意識が強いと、ストレス度も高くなります。

そんな苦しさを自分の中に感じたら、自分に課した「枠」を外しましょう。

これは、例えば妻であることを放棄する、母であることを単に放棄するということではありません。

仕事を放棄することでもありません。

自分に課した「~あるべき」「~らしく」という思い込みを外していくということです。

人生も後半戦になってきたら、もうこのような意識を手放していってもいいのではないでしょうか。

これまでの人生で十分にやってきたのですから。

五十代の初めの頃、夢を見ました。

目の前に坂道があります。

私は、(この荷物を背負ってこの坂道は上れない)と思っています。

その頃、責任感に押しつぶされそうになっていて、(自分がやらなければならない)と思い続けていたことがありました。

夢は、自分の深い意識から現状を知らせてきます。

本来の私は、「荷を下ろしなさい」と言っていたのです。

(自分がやらなければならない)という義務感、責任感は、自分で自分に課したこだわり、枠でした。

この夢を見て自分の感じていた重圧に気づき、「自分がやらなければ......」というこだわりを手放すことができました。

「良い人でいたい」「良い妻でいよう」「良い母親でありたい」――これもこだわり、執着です。

もうそろそろやめにしましょう。

良い妻も良い母親も前提ではなく結果です。

良い妻であろうとすれば、犠牲的な気持ちになることもあるでしょう。

良い母親でありたいと思うことで、自分の価値観を成長した子どもに押し付けているかもしれません。

本当に良い人も良い妻も良い母親も、「良い」などということを意識してはいないのです。

「良い」「良くない」「悪い」という評価をしているのは自分です。

それは、人の評価を基準にしている自分なのです。

そんなこだわりは、手放してしまいましょう。

「心配」「不安」を手放す

私は、とても心配性です。

もちろん私だけでなく、自分のこと、大切な人のこと、災害のことなど、まったく心配しない人はいないでしょうけれど......。

例えば急に雨が降ってきたとします。

すると、家族が雨に降られていないか、ずぶ濡れになっていないか心配になります。

大人ですし、いまはどこにでもビニール傘を売っていますからまったく無用な心配なのですが、どうしても心がざわざわしてしまうのです。

高齢の父が電話に出ないと、倒れてはいないかと何度も家まで見に行きました。

娘が電車で小学校に通い始めたときには、それはもう大変でした。

初めのうちは学校の近くの駅の改札口で待ち合わせをしたのですが、なかなか来ない。

途中で何かあったのではないかとハラハラしました。

なんてことはない、友達と遊びながら帰って来ただけ。

そんなことばかりです。

物騒な事件もありますから気をつけるに越したことはありませんが、心配することと、気をつけること。

この線引きをしておかないと消耗するだけです。

娘が中学卒業ののち留学したときから、「心配すること」を手放す学びが始まりました。

海外にいるのですから、何かあってもすぐに飛んでいくことはできません。

心配することは、愛ではない。

そう自分に言い聞かせながら六年が経ち、娘も二十一歳になりました。

「サバイバル力がついているから、心配しなくていい」

娘のこの言葉で、ふっと力が緩む感があったのです。

そこから少しずつ、心配を手放し、信頼するという境地に近づいてきました。

心配することは、愛ではありません。

誰も頼んで心配してもらっているわけではない。

心配も不安も、自分が生み出しているものです。

そして心配や不安から生まれるのは、免疫力の低下、行動力の低下です。

五十代、六十代になれば、健康のこと、経済的なことなど心配に思ったらきりがありません。

心配はただ心を乱すだけで、解決にはなりません。

やるべきなのは、現実に向き合い、現実的な懸念案件をクリアにしていくこと。

私自身、フリーランスで三十五年仕事をし、これからも一匹狼で仕事をしていくので、後ろ盾などありません。

にわか雨の傘の心配どころの話ではないのです。

ただ、実を言うと最近は、自分の老後の生活設計について、娘への心配から脱したように、どこか突き抜けて明け渡した感があります。

心配や不安、ストレスで身体を傷めたくないですし、そのくらいの意識で現実の問題と緩く向き合い、ひとつひとつ、クリアしていければと思っています。

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杏里、松田聖子、中山美穂などのアーティストに作詞を提供する著者が、50代の女性へ贈る幸福論です

 

吉元由美(よしもと・ゆみ)

1960年、東京都生まれ。作詞家、作家。洗足学園音楽大学客員教授、淑徳大学人文学部表現学科客員教授。成城大学文芸学部英文学科卒業。1984年、作詞家デビュー。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、石丸幹二、加山雄三ら多くのアーティストの作品を手掛ける。エッセイストとしても幅広く活動し、著書多数。

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『エレガントな終活~50歳から、もっと幸せになる~』

(吉元由美/大和書房)

仕事、パートナー、老親、子どもとの関係が激変する女性の50歳。この先の人生に必要なことは、大切にしたいことを「取捨選択する」ことです。自分を愛し、より自由で幸せな女性になるために、50歳となった今からできる新しい「終活」を提案しています。

※この記事は『エレガントな終活~50歳から、もっと幸せになる~』(吉元由美/大和書房)からの抜粋です。

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