50代になると頭によぎる「終わり」の迎え方。人生の後半について、作詞家で作家の吉元由美さんは、「これからがクライマックス」と言います。今回は、著書『エレガントな終活』(大和書房)から、吉元さんが考える「50歳からの女性の生き方」のエッセンスをお届け。これからの人生が幸せになるヒントが散りばめられています。
五十歳から「人間らしく生きる時期」が始まる
古代インドの法典に示された「四住期」という、人生の過ごし方を示した考え方をご存知でしょうか。
学生期(~二十五歳)人間としての生きる知恵をつける学びの時期
家住期(二十五歳~五十歳)社会人として家庭を作り、仕事に励む時期
林住期(五十歳~七十五歳)生き甲斐を求めて、真に人間らしく生きる時期
遊行期(七十五歳~百歳)家を捨て、死に場所を求める放浪と祈りの余生の時期
家住期である二十五~五十歳は働き盛りです。
自分を振り返ると脇目も振らず「突っ走った」感があります。
仕事をし、結婚し、子育てに奔走しました。
けれど、五十歳になったとき......これまでの二十年とこの先の二十年の生き方はまったく違うものになることを自覚しました。
二十年後に元気でいられるかわからない、先の見えない二十年が始まった。
生き方を変えよう、と思いました。
林住期に入った私はこれまでやったことのないミッションに挑戦することにしました。
それは直接「教える」「伝える」ということです。
ライフアーティスト アカデミーという私塾を始め、またチャレンジの日々が始まりました。
企業に勤めていれば、六十歳で定年退職を迎えます。
六十歳、まだ若いです。
まだまだ働ける。
もちろん、もうリタイアして悠々自適に暮らしたいという人はそれでいいと思いますが、まだ仕事をしたいと考えている人、働く必要がある人が、六十歳からの人生を考え始めることに、早すぎることはないと思います。
林住期と言われる年代の半ばから、ある意味、多くの人が「フリーランス」になります。
働き続ける、続けないにかかわらず、企業人として、父親、母親としての役割からは解放される人も多いでしょう。
それによって自由になったと感じる人もいれば、世の中から必要とされなくなったのではないか......と落ち込む人もいるかもしれません。
人生は川の流れのように留まることを知りません。
役割に対して自負心があったとしても、他に尽くす役割を卒業したことを喜んで、自分のために最善を選んでいく年代が、この林住期なのです。
とは言っても、長いこと「役割」を担ってきて、いきなり「自由にどうぞ!」と言われても、「何をしていいのかわからない」「これからどうなるのだろう」と不安を覚える。
退職後に鬱になる男性が増えているそうです。
役割を終え、必要とされなくなった喪失感もあるでしょう。
しかし、「わからない」「どうしよう」と不安になっていても、答えは向こうからやって来ない。
自分で見つけていくしかないのです。
どんな年代にも言えますが、「生きていること」を実感しながら生きることは、人生の質を高めます。
「生きる甲斐」があってこそ、気持ちは躍動する。
そして、人生の後半には、ますますこの「生きる甲斐」が大切になってくると思います。
社会人、親としての役割を終えた私たちは必ず、いろいろなものを手放していく年代になります。
そのときに喪失感でも虚無感でもなく、充実感を味わうことにこそ、人生をまとめ上げていく鍵があります。
たとえ病床にあったとしても、「生きる甲斐」と共に。
これは私の目標でもあります。
自分の最善が「誰かのため」になるということ
精神科医で、かつて上皇后陛下が皇太子妃でいらした頃にご相談役として御所に参内された神谷美恵子さんは、生きがいを感じて生きることの意義を著書『生きがいについて』の中で述べています。
「人間が最も生きがいを感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したときだと思われる」「どういうひとが一ばん生きがいを感じる人種であろうか。自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力をそそいで歩いているひといいかえれば使命感に生きるひとではないだろうか」
社会人として生きること、親という役割、親の介護などは義務と言ってもいいでしょう。
それが自分のしたいことであるなら、それが生きがいになる。
しかし、役割、義務から離れ、もう若くはなくなったとき、果たして生きがいを感じることができるのか。
神谷さんは「使命感に生きる」と言われますが、これは必ずしも何かに身を捧げることでもないと思います。
決して大きなことでなくても、何かに自分を役立てること。
やりたいと思うこと、自分が楽しむことをするために最善を選び、最善を尽くすことも命を使うことにつながると思います。
それが誰かのためになっていることなら、なおさら素晴らしいことです。
私の母は、五十歳のときに家庭裁判所の調停委員になりました。
法学部は卒業していましたが専業主婦だった母が選考されたのには、母の相当な熱意がありました。
若い頃に少年問題に関わる仕事をしたいと思っていた母は、子育てが一段落したときに人生を切り開いたのです。
いきいきと裁判所へ出かけていた姿をいまも思い出します。
特に離婚調停から少年問題を多く担当するようになってからは、やりがいも生きがいも感じながら任務に携わっていたと思います。
五十歳から定年の七十歳まで、まさに林住期の自己実現。
家族からではなく、社会から必要とされていたことが、母のモチベーションを高めたのです。
被災地で黙々と作業をするスーパーボランティアと呼ばれる尾畠春夫さんは、まさに人生後半、大きな使命感で生きていらっしゃいます。
八十八歳になる私の父は、庭で野菜を作り私たちに配り、我が家の犬の世話を積極的にしてくれます。
私たち姉妹の家の植木の手入れもしてくれます。
本当にささやかなこと。
でも父は、「役に立っていることがうれしい」と言います。
人生後半の新しい役割は、生きている喜びと共にあったらいい、と思います。
自分の楽しみのためだけに生きるとしても、誰かの役に立つ生き方をするにしても、役割という枠に入るのではなく、役割という枠の外にいること。
「やらされている感」「やってあげている感」から解放されることで私たちは心の自由を獲得し、自分を幸せにする新しい方法を選ぶことができるのだと思うのです。
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杏里、松田聖子、中山美穂などのアーティストに作詞を提供する著者が、50代の女性へ贈る幸福論です