昔の恋人からの手紙、「今の自分」にも価値がある? 50歳から始めたい「自分らしい終活」

50代になると頭によぎる「終わり」の迎え方。人生の後半について、作詞家で作家の吉元由美さんは、「これからがクライマックス」と言います。今回は、著書『エレガントな終活』(大和書房)から、吉元さんが考える「50歳からの女性の生き方」のエッセンスをお届け。これからの人生が幸せになるヒントが散りばめられています。

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これからの人生に必要なもの、なくてもいいもの

少し前の夏に集中豪雨があり、半地下のガレージと浴室、洗面所が浸水しました。

膝下ほどの浸水です。

ガレージに山積みになっていた荷物がぷかぷか水に浮き、すべてがゴミになりました。

修理に出すことがあるかもしれないと夫が捨てずにいたパソコンやプリンターの段ボールは水を吸ってぐだぐだに。

ふたつあった衣装ケースには、亡くなった母が習っていたシャンソンの楽譜や歌集、そして娘が小学校のときに描いた絵が入っていました。

想い出と共に大切にしていた「もの」たちは泥水にまみれた残骸と化しました。

ガレージの荷物を整理しなくては。そう思い続けて数年。

家の中に置いておけなくなったものをどんどんガレージに入れ、家の中は少しすっきりしましたが、ガレージは不用品置き場のようになっていたのです。

膝まで水に浸かってゴミと化した「もの」を袋に入れながら、想い出という名の下にいかに「もの」を溜め込んでいたかを思い知りました。

そして、70リットルのゴミ袋20余個の「もの」がなくなっても何も困らないことに気づきました。

必要に迫られて買ったのは除湿機だけです。

必要か、必要でないか。片付けをするときの判断基準はこれに尽きます。

とはいえ、想い出深いもの、写真、昔使っていたもの、贈り物はなかなか処分できません。

子どもや親の想い出の品も、手に取ると懐かしさや愛しさが湧き上がり、捨てる決断を鈍らせます。

母のシャンソンの楽譜には、たくさんの書き込みがしてありました。

亡くなった母の懐かしい字がそこにありました。

それは、母がひとときでも好きなことに打ち込んでいきいきと生きた証のような気がして、ずっと処分しきれずにいたものでした。

でも、あっという間にゴミになってしまいました。

私たちは、形あるものを大切にし、形あるものを残そうとします。

でも、たとえ持ち続けたとしても、いずれ誰かが処分しなければならない。

私が母の想い出の品を大切にできたとしても、私が死んだ後には?

そのとき、心をこめて片付けてもらえるでしょうか。

たとえ想い出の品であっても、無駄に持ちすぎていたなら、それはいずれ、残された家族の手を煩わすことになるのです。

でも、自分の想い出の品であれば、私は心をこめて手放すことができます。

思わぬ浸水で母と娘の想い出のものを手放した経験は、執着を手放し、改めて本当に必要なものを残すことの困難さと大切さを私に教えてくれました。

本当にプライスレスな想い出はほんの少し

これまで歩んできた道程には、経験したいろいろなこと、想いが刻まれています。

それと共に、家の中には細々としたものが残っています。

写真、手紙、プレゼント、お土産、作品......。

プライスレスに思われるそうしたものたちは、果たしていまの自分にとってもプライスレスでしょうか?

想い出はプライスレスでも、想い出のものはどうでしょう?

例えば、昔の恋人からのプレゼント、手紙、写真。

それが自分の中でいい恋愛であれば残しておきたいかもしれません。

つらい恋愛であっても、捨てきれずに残っているかもしれません。

それらの「もの」たちは、いまの自分にとって価値があるかどうか。

私は全部手放しました。

手放したという表現は美しすぎるかもしれませんね。

三十代の頃に捨てました。

中には何度も開いては読み、便箋の折り目がいまにも破れそうな手紙もあったのですが、捨てました。

形あるものを捨てても、素敵な手紙をもらったという事実は消えません。

それだけで十分です。十分に、人生の栄養になりました。

そして、その事実がこれからの私の時間に必要かと言えば、必要ありません。

それに、そうした手紙などは他の人に読まれるのも嫌でした。

誰とも共有したくないものは心に刻んで、お墓まで持って行く。

想い出のものに限らず、長い人生にはそういうことがあるものです。

もっと先になり、人生を振り返ったときには記憶の中で思い返すことができるでしょう。

そのときに豊かな気持ちで思い出せるのは、潔く執着を手放せたからではないでしょうか。

昔のものをすべて捨ててしまうのではありません。

手元に置いておきたいものは「想い出ボックス」に収めます。

手放すものを撮った写真を入れておくのもいいかもしれません。

大切なポイントは、その箱に収まるぶんのものだけをとっておくことです。

それが何箱にもなってしまったら、それがまた荷物になってしまいます。

とはいえ、私にもまだ捨てられないものはたくさんあります。

「娘に渡すものボックス」には、娘が小さいときのワンピースや素敵なコートが何枚も入っています。

娘に女の子が生まれたら......などと気の長い不確かな未来を想定もしますが、愛された想い出として受け取ってもらえたらと。

これも母親の執着かもしれませんが、いまはまだそんな自分を許しています。

想い出のものが、いまの自分の糧になっているか。

本当にプライスレスなものは何か。

想い出という枠に縛られている自分はいないか。

自分が亡き後に残される想い出のものたちの行き場所を考えることから、自分らしい「終活」が始まるのかもしれません。

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杏里、松田聖子、中山美穂などのアーティストに作詞を提供する著者が、50代の女性へ贈る幸福論です

 

吉元由美(よしもと・ゆみ)

1960年、東京都生まれ。作詞家、作家。洗足学園音楽大学客員教授、淑徳大学人文学部表現学科客員教授。成城大学文芸学部英文学科卒業。1984年、作詞家デビュー。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、石丸幹二、加山雄三ら多くのアーティストの作品を手掛ける。エッセイストとしても幅広く活動し、著書多数。

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『エレガントな終活~50歳から、もっと幸せになる~』

(吉元由美/大和書房)

仕事、パートナー、老親、子どもとの関係が激変する女性の50歳。この先の人生に必要なことは、大切にしたいことを「取捨選択する」ことです。自分を愛し、より自由で幸せな女性になるために、50歳となった今からできる新しい「終活」を提案しています。

※この記事は『エレガントな終活~50歳から、もっと幸せになる~』(吉元由美/大和書房)からの抜粋です。

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