「義務を感じたら、やめてもいい」料理に掃除に年中行事・・・わたしがやることを見直す「50歳からの終活」

50代になると頭によぎる「終わり」の迎え方。人生の後半について、作詞家で作家の吉元由美さんは、「これからがクライマックス」と言います。今回は、著書『エレガントな終活』(大和書房)から、吉元さんが考える「50歳からの女性の生き方」のエッセンスをお届け。これからの人生が幸せになるヒントが散りばめられています。

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「しなくちゃ」が負担になってきたら

デパートの地下、食料品売り場で老舗料亭のお惣菜を買い、お会計を待ちながらショーケースを眺めていたとき、ふと思いました。

(もっと年をとったら、毎日これでいいかも)

100グラム400円から600円ほど。

お味も薄い。

年寄り向き。

そんなにたくさん食べないからせいぜい二種類。

それにご飯とお味噌汁。

毎日、老舗料亭のお惣菜をいただく......というと贅沢なように思えるかもしれませんが、材料を買って作るのとそれほどの差はないでしょう。

食べることが好きで、料理が好きで、人生の中の一食であっても丁寧にいただきたいと思ってきました。

26歳でひとり暮らしを始めたとき、電気コンロひとつの小さなキッチンで自分のためだけに1時間かけて料理をし、15分で食べ終えてしまうという......そんな毎日でした。

結婚して、娘が生まれて、おいしいもの、滋養のあるものを食べさせることが私の大きな仕事になりました。

40代は嵐のように過ぎていきました。

お弁当を作り、幼稚園に送り、午後2時に迎えに行き、家に帰りおやつ、それからお稽古に連れて行く。

帰ってから大急ぎで食事を作り......。

振り返ると、母親、仕事人としての私はいたのですが、そこに「自分」はいたのか。

自分のために何かしたことはあったのか......。

自分のことで思い出すことはないのですが、悔やんではいません。

むしろやりきった感がある。

でも、いま、同じことをやりなさいと言われたら、きっぱりと断ります。

これからのやりきった感、達成感の次元を、違うところに求めたいからです。

家族がいても、ひとりで暮らしていたとしても、生活する上で掃除、洗濯、料理など、家事は欠かせません。

綺麗でないと気が済まない、家事をすることが大好きならともかく、これからは年々、掃除、洗濯、料理を負担に思うことが多くなるのではないでしょうか。

(ああ、またご飯の時間)、(掃除機かけなくちゃ)、仕事を途中で切り上げて夕食の支度をする。

もう少し外でゆっくりしたくても、買い物をして家に帰る。

最近、そんな「......しなくちゃ」が少々負担になってきました。

家事をラクにする意味では、ものを減らすのはおすすめです。

整頓、拭き掃除、掃除機かけをしやすいスペースを作る。

ものを減らすことは、億劫になる家事をしやすくする効果もあるからです。

それでも家事、仕事、お付き合い、お稽古事......それを義務のように感じてしまうなら、そろそろ、一度立ち止まってもよいのではないでしょうか。

形ではなく、心を選ぶ

さて、家事と言えばまず料理です。

ひとりならともかく、家人がいる。

私も仕事がある。

料理が気分を変えるモードならいいのですが、やりたくないときがある。

最近、頑張れなくなりました。

食に対して興味も意欲もあり、できるだけ家で健康的な食事を作るようにしていただけに、頑張れなくなったことに若干の罪悪感がありました。

もちろん、これは私個人の勝手な罪悪感、自分で作った枠がきつくなっただけのことです。

作りたくないのなら、外で食べよう。

作りたかったら、作ろう。

そう自分に許すと、気がラクになりました。

料理したいスイッチが入ったときには、何種類かお惣菜を作り置きします。

それも、義務にしない。

スイッチが入ったときだけです。

「義務」を感じたら、しない。

まずは、義務に思わなくてもいい、と自分を許すことから始めたのです。

掃除も、できるだけラクに。

大掃除のときの換気扇や水まわりなどは、専門業者に頼む。

時間と体力を買うのです。

大切なことは、家事も「楽しむ」ということです。

お正月のおせち料理も、楽しめる範囲で作ります。

決して無理はしない。

それに、もう無理はできません。

食べたいものを、食べたいだけ作ります。

あとはデパートでおいしそうなものを買うくらいです。

お正月の支度も「義務」に思えば疲れることばかりです。

日本のお正月の伝統も文化も守りたいし、次の世代に伝えていきたい。

その想いを大切に、いまの自分ができることをする。

もうそれでいいのではないかと思います。

年賀状も書かなくなりました。

(ああ、年賀状書かなくちゃ)と、楽しめずに義務になっていることに気づいてから、すっかり失礼しています。

いただいた年賀状にお返事を書くのが精一杯という有様です。

心と時間に余裕のない生活をしている証拠かもしれません。

年賀状については、楽しめるときを待つことにします。

生活の中で、自分のライフスタイルの中で、心から自分が望んでやっていることがどのくらいあるのでしょうか。

最近では虚礼廃止の企業が増えてきたと言います。

私は最近、慣習化していたお中元、お歳暮も見直しました。

そして、本当にお世話になった人に、心からお礼をしたいときに粗品を送ることにしました。

すると、いつも季節のご挨拶を送っていた人よりも、一年を通じてずっと多くの人にお礼の品を送っていました。

この場合は儀礼ではなく心からのお礼。

それだけ多くのお支えをいただいたということですから、ありがたいことです。

季節の挨拶を義務、慣例のように感じるのならやめるのも一考です。

これからの年代、さらに大切になるのは「形」ではなく「心」です。

本当に心をこめられる方法を選ぶ。

時間と労力、そしてお金は必要なときに、必要なだけ使うという軸を持つ。

私たちの時間には限りがあるのですから、これまで家族のため、会社のため、周囲のために捧げていた心を、自分に尽くすことに向ける道を選んでも良いのだと思います。

50代を迎えた全女性に贈る「エレガントな終活」記事リストを見る

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杏里、松田聖子、中山美穂などのアーティストに作詞を提供する著者が、50代の女性へ贈る幸福論です

 

吉元由美(よしもと・ゆみ)

1960年、東京都生まれ。作詞家、作家。洗足学園音楽大学客員教授、淑徳大学人文学部表現学科客員教授。成城大学文芸学部英文学科卒業。1984年、作詞家デビュー。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、石丸幹二、加山雄三ら多くのアーティストの作品を手掛ける。エッセイストとしても幅広く活動し、著書多数。

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『エレガントな終活~50歳から、もっと幸せになる~』

(吉元由美/大和書房)

仕事、パートナー、老親、子どもとの関係が激変する女性の50歳。この先の人生に必要なことは、大切にしたいことを「取捨選択する」ことです。自分を愛し、より自由で幸せな女性になるために、50歳となった今からできる新しい「終活」を提案しています。

※この記事は『エレガントな終活~50歳から、もっと幸せになる~』(吉元由美/大和書房)からの抜粋です。

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