こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年が経ちました。
前にも少し触れましたが肝臓がんの入院以前にも父は何度となく入退院を繰り返し、病院と自宅を行ったり来たりしておりました。
関連記事:実親と義親、同時に介護が必要に!支えになってくれたのは.../山田あしゅら
私も弟も(私は二人兄弟です。)それぞれ家庭を持ち、離れたところに住んでいます。
一方父と母は二人で都会のマンション暮らし。
父が体調を崩すたび、母は一人で献身的に介護、看護をしていたのです。
母は
こういう性格です。
また、父自身も母に世話をしてもらうことを望んでいたようなところがありました。
言い方を変えれば「子どもには世話をかけられない」と父母双方が思いこんでいたとも取れますが、介護者(介護をする人)の思いというのはその人でないと分からない部分もあり、特に介護者と被介護者の結びつきなどを考慮すると、分担することが必ずしも良いとは限らない場合もあるように思います。
「自分ならどのように第三者にかかわってもらいたいか?」そう考えるうちに、私は母の精神的なサポートに徹しようと思ったのです。
とかく病人を抱えると、介護者は精神的に落ち込んでいきます。
その上、父のことが片時も頭から離れない母は娘の私から見て「そこまでしなくても...。」と思うほど真剣に取り組んでしまう傾向にありました。
そんな母を車で送迎したり、食事に誘ったり、悩みを聞いたり、時にはたわいのない会話で馬鹿笑いしたり。
また、父も義父同様『昭和ヒトケタ』世代ですので、とても頑固者です。
介護認定をとるのを拒否し、説得に困惑している母に代わって認定を取り付けるまで粘ったこともありました。
私が実際に父の介護に携わることはあまりありませんでしたが、
「いつでも傍にいるよ」と母に寄り添うことが私の役割だったのだと思います。
これも以前、記事に書きましたが→
要介護の義両親を義弟の家に送りつけたい!平等な介護分担の難しさ/山田あしゅら
『介護の分担』は多くの介護家庭で大きな課題のひとつで、とても難しい問題です。
ブログでも時々、
「介護を担っている親族のお手伝いをしたいのですが、何をしたらいいのかわかりません。」といったコメントをいただいたりしますが、明解な回答はなかなか出せないのです。
介護者としては「お手伝いしたい」と言ってくださるお気持ちは無関心でいられるよりずっと嬉しいものですが、ある程度介護の方針や、やり方が定まってくるとその道筋を乱されたくない思いが生じてくることも少なくないからです。
透析が始まり本格的な介護が必要となって2年。肝臓がんの手術から1年。
父は2010年6月、天に召されました。
本当は母はもっと私に父の介護の積極的な参加を望んでいた時もあったかも知れません。
けれど母はそのほとんどを自分の力でやり遂げました。
しばらくは夫を亡くした喪失感からか、精神的に不安定な時期もありましたが
この充実感というか達成感が母を支えたのでしょう。
母にとって正念場だった2年間が8年経った今では良い思い出として残っているようで、今でも折々話に出ます。
私も足繁く車で通った国道を通りかかる度、いろいろな思いがよみがえり
「これで良かったのかな。」と思うのです。
【次のエピソード】実父の死。葬儀の段取りにてんやわんやで感傷に浸る時間もない!/山田あしゅら
【最初から読む】義両親の様子がおかしい...介護生活がはじまった日/山田あしゅら
【まとめ読み】義父母の介護での「事件」満載!山田あしゅらさんの記事リスト
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。