こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年が経ちました。
前回の記事:実父の介護生活。役割分担ができないなら、私にできる役割とは.../山田あしゅら
今回は父の葬儀の時の話をしたいと思います。
父が危篤だと母から連絡があり、病院に駆け付けたのは早朝でした。
数日前から容体が芳しくない状態が続いていましたので、覚悟はしていたのですが...。
取るものもとりあえず急いで出発する私に向かい、家にいた次男が
と、力強く送り出してくれました。
夫の運転する車で病院に向かうと父は既に虫の息。担当医の配慮で私と弟が到着するまで息を引き延ばしているという状態でした。
弟が到着するとほどなく臨終を迎えた父。静かに眠るような最期でした。
けれどその後感傷に浸る時間はあまりありません。
病院から葬儀場への搬送→納棺→通夜→告別式→初七日と、次々事を運んでいかなくてはならないからです。
弟も私も身内の葬儀は初めてです。
とりあえずどんなことをすれば良いのか今ではネットで調べることもできますが、
実際に進めていくとたくさんの分からないことや思いがけないアクシデントに突き当たります。
そんな中、母から連絡を受けて、母のすぐ下の弟(私にしてみれば叔父)も病院に駆けつけてくれていました。
人生経験が豊富な叔父はオタオタしている私たちにさりげなく、それでいて的確にあれこれ指示してくれて葬儀後の初七日に至るまで本当に心強い存在でした。
またその上、家に残してきた義父母のことも気になります。
私が病院に駆けつける時には次男が留守を守ってくれましたが、通夜以降は彼はもとより夫や長男三男も列席せねばならず、家には他に誰もいない状態ができてしまいます。
父の入院中も、数時間ならばともかく、1日中義父母だけにするという事はありませんでした。
本来ならショートステイなど、前もって手段をこうじておくべきだったのでしょうが、頑固な義父との衝突を避けるあまり対策できなかったのは後になってからの反省です。
言い換えれば被介護者を抱えるということは、そういった不自由さが避けられないということでもあるのです。
そこで頼ったのが夫のいとこの『あっちゃん』でした。
あっちゃんは義母の姪に当たる人で、自身も長年舅姑を介護し看取った経験があり、家も近所。
私にとっては日ごろから頼れる相談者の一人でした。
電話でお願いすると
一も二もなく、通夜、葬儀の間の2日間の留守番と義父母の世話を引き受けてくれたのでした。
父は病身ながら亡くなる直前まで仕事を続けておりました。
付き合いも多かったため葬儀は予想以上に大きなものになってしまい喪主となった弟は取り仕切るのに必死です。
私は私で、家と実家と葬儀場を行ったり来たり、
その合間に弟のサポートで各方面への連絡業務があったり
介護疲れのまま、夫を亡くした喪失感で意識もうろうとなった母が倒れないかと支えたりで、
初日など、日付が変わる間際になって初めて丸1日何も食べてないことに気づく有様でした。
喪主初体験の弟と、サポート役の私は初七日まで(このあたりでは火葬後、その日に初七日を済ませることが多いようです。)何とか無事に終えることができました。
参列してくれた親せきを送り出すとやっとやれやれ。
しばらく口もきけないほど疲れ果てたものです。
葬儀というのは近しい者にとって究極の非常時です。
父が亡くなったという悲しみが吹き飛んでしまうほど怒涛の日々となりましたが、もしかしたら葬儀というのは直後の強い悲しみを薄めさせるためにあるものなのかも知れません。
また、義父母のことを気にかけながらではとてもこなせなかった3日間。
臨機応変に助けてくれたあっちゃんや次男には本当に感謝でした。
近くに頼る人のあるありがたさをつくづく感じた3日間。
色々なことを教えられた父の葬儀となりました。
葬儀が終わってから
こういうおまけもありましたけどね。
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