こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年が経ちました。
前回の記事:なぜ私が義両親介護のキーパーソンになったのか/山田あしゅら
望むと望まざるとにかかわらず、介護の渦にまきこまれていった私。
しかも義父と義母、症状は違えどほぼ同時進行のW介護です。
ある程度覚悟は決めていたものの先にどんなことが待ち受けているのか全く分かりません。
介護保険のしくみや、各種介護サービスについても最初の頃はほとんど『ちんぷんかんぷん』。
ケアマネージャーの助けはありますが、当時は『分からないことが分からない』。
まるで勉強が出来ない子どもの如く。まさに何もかも手さぐりの状態でした。
それでも介護の日々は待ったなしで繰り広げられていくのです。
排泄物がお風呂場にあったり、汚れたオムツが普通に部屋のゴミ箱に捨てられていたり...。
一つ屋根の下で暮らしているのですから放っておけば自分たちの生活も破綻してしまいます。
もともと頑固で扱いにくい性格の義父。その頃には精神的不安定な状態から大分抜け出してはいましたが、できればあまり関わりたくない相手でもあります。
世話をするたびそれを拒絶され、やればやったで『当たり前のこと』にされてしまう。その上、感謝の言葉一つない義父です。
一方、義母は認知症の症状が急速に進み、手はかかるばかりだったのですが、穏やかで素直に私たちの言うことを聞いてくれます。
ちょっぴり依存心は強いけど他人の世話を素直に受け入れて、そのたび「ありがとう」を欠かさない義母。
今振り返ってみると、介護は肉体的な疲れより精神的な疲れの方が何倍もこたえるものだとつくづく思うのです。
「助けてあげたい」と思う気持ちが不釣り合いになってしまうのは仕方のないことだったと思います。
次第に義母の介護にウエイトを置くようになり、いつしか義母の介護のみが私の仕事というスタンスが出来上がっていきました。
当時はまだ義父は身のまわりのことが何とか自分で出来ていました。
もちろん傍から見れば「おいおい」なところもないではありませんでしたが
いわばこういった『ツッパリ』が義父にとってはかなり重要なことだったのかも知れません。
そして、私が義母の世話を率先して行うようになると義父の方にだんだん意外な変化が現れはじめたのです。
最初の頃こそ義母の世話を一方的に拒否していた義父でしたが
拒否は日を追うごとに薄れていき、次第に義母の世話をほとんど私に委ねるようになり、私の介護に横やりを入れることはなくなっていきました。
自分のことで手いっぱいの義父。
義母の世話も気持ちではしているつもりがほとんど出来ていない。
義父自身もそれを不本意ながら認めざるを得なくなってきた...本当のところは分かりませんが、そんな感じだったように思います。
そして、このスタンスが最後まで我が家の在宅介護を良くも悪くも形作っていくのでありました。
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